Ride in Setouchi & San-in Day 35 (19/4/19) Chofu & Shimonoseki 長府/下関

Chofu 長府
  • 忌宮神社
  • 長府庭園
  • 櫛崎城跡
Shimonoseki 下関
  • 火の山公園/砲台跡
  • 赤間神社
  • 亀山八幡宮
  • 旧下関英国領事館
  • 旧宮崎商館
  • 本陣 伊藤邸跡
  • 長門國 国分寺
  • 聖フランシスコ•ザビエル碑
長府で前回見落とした所を巡ろうと思い、もう一度長府に戻る。

忌宮神社

仲哀天皇が192年に熊襲の征討に訪れ、翌年1に行宮豊浦宮を建立と起源はなっているが、この天皇の存在自体怪しい。にわかには信じられない。長門國の二宮。昨日行った住吉神社が一宮なので、それに次ぐ格式のある神社。
にわとりが放し飼い。

長府庭園

この庭園は長府毛利藩の家老格の西運長(にしゆきなが)の屋敷跡。広大な敷地には池の周りに書院・茶屋・東屋が残っている。蔵を利用して売店やギャラリーもある。かつての静かなたたずまいが今日まで残されています。
長府の色々な所を巡ったが、静かで落ち着いた城下町の雰囲気が今でも残っている感じだ。
櫛崎城跡 鯨の展望台があるが、今は使っていない模様
前回の長府の模様はここに掲載している。
長府から、再び下関へ。

火の山公園/砲台跡

関門海峡が望めるヴュー•ポイントの火の山に登ることにする。前回下関に来た時はこの山には登らなかった。関門海峡は海岸線から眺めただけだった。火の山とは変わった名前だ。昔、山頂に敵の襲来を都に知らせるための狼煙台が設けられていたことに由来。1890年(明治23年)には山頂に下関要塞の砲台が設置されていた。当時は西欧列強の侵略に備えるために、最も防備に重要な関門海峡にこの砲台が置かれたのは納得できる。
この山頂までは自動車道路が通っており、何台か大型観光バスを見かけた。ロープウェイもあり、ここに来るのは便利になっている。こちらは、いつも通り、徒歩で登ることにする。遊歩道と書かれているので、それ程きつくないはず。麓は公園になっており、オランダと姉妹年という事で、チューリップが綺麗に咲いている。
この上から遊歩道が始まる。遊歩道は、所々きつい箇所があるが、山頂の260mまでジグザグ道になっており、比較的楽な道だった。
山頂から関門海峡の眺めはさすがだった。夜は門司と下関の町のライトで100万ドルの夜景だそうだ。夜まではいられないので夜景は断念。
前回、下関は関門トンネルを出て東に向かい走ったが、下関の中心は西側。前回はほとんど素通り状態だったわけだ。今回は西側も行ってみる。

赤間神社

壇ノ浦の戦いにおいて幼くして亡くなった安徳天皇を祀る。安徳天皇は父の高倉天皇の後を僅か一歳の時に即位した。平清盛の娘、徳子の子である。平家の野心に利用された幸薄い天皇だった。在位は5年、6歳で壇ノ浦で入水。何もわからないまま翻弄された短い人生だった。痛ましい。
この神社の前身は阿弥陀寺があった。耳なし芳一舞台となった。当時は神仏習合で寺と神社は境目が非常に曖昧だったが、廃仏毀釈により神社となり現在に至っている。
耳なし法一の祠。実在の人物だったのか? 小泉八雲が伝承話を元に書いたと思っていたのだが....
平家一門の墓
安徳天皇陵。宮内庁管轄
近くに李鴻章通りがあった。不思議に思っていたら、ここは日清戦争の講和締結の場所であった。成る程と思ったが、敵国の大将の名前をつけるとは寛大。まだ武士道が残っていたのかも知れない。
亀山八幡宮
ここになぜかフグの像。街中でもフグにのモニュメントが数多くあった。名物なのだが、フグ料理は自粛。本場とは言え、やはり高い。
門司程では無いのだが、古いレンガ造りの建物がちらほらあった。門司は観光地作りが上手だ。山口は観光に関しては、少し不器用。
旧下関英国領事館 (カフェになっている)
旧宮崎商館 (病院になっている)
本陣 伊藤邸跡
長門國 国分寺 国分寺というから、さぞ立派で遺構もあるのかと、期待していたが、見事に裏切られた。
聖フランシスコ•ザビエル碑
もう一つ行きたかった所があったのだが、断念。巌流島だ。宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の銅像ぐらいだろうが、実際に島と決闘の場所を見たかった。これは次来るときに温存し、明日からは日本海側に入り、いよいよ山陰方面に向かう。

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