Ride in Kyushu Day 38 (22/1/19) Part 2 Seinan Civil War Battle at Kikuchi 西南戦争 菊池の戦い

Seinan Civil War Battle at Kikuchi 西南戦争 菊池の戦い
田原坂、山鹿口における戦闘に敗れた薩軍は、3月24日、隈府(菊池市)まで後退して、隈府、植木、吉次峠の防衛線を作り上げていた。中町に本陣を置き、桐野利秋の指揮のもと、隈府城跡(菊池神社)や羽手ノ木、赤星口、花房、高塚袈裟、尾原西郷坂、米原、玉祥寺などに陣を敷き、薩隊や熊本協同隊、貴島隊等が守った。4月9日に竹迫に撤退するまで、戦いは熾烈を極め、多くの戦死者を出した。
菊池市内には、数カ所西南戦争所縁の地がある。
薩軍は西覚寺に本営を設置した。
すぐ側に別の寺の西照寺に野営病院を設置
官軍と激戦が行われた場所がある。川を挟んで、それぞれが高台から銃撃戦が行なわれた。
菊池公園には官軍墓地と慰霊碑が立っている。
この頃にはさすがの薩軍も武器や兵站の調達に苦慮しており、更に兵力も減少し、負傷兵も増え、以前のような圧倒的な強さはなくなってきている。次から次へと増員や兵站調達が可能な官軍とは大きな差が出てきている。その中で、これだけの戦いをしている薩軍は、ひょっとして当時日本で最強の軍団だったかもしれない。ただ、この頃の西郷、桐野、それに薩軍兵士の心境はいかなるものだっただろう。熊本城さえも落とせず、その北に行くことすらできなくなった。多分東京に行くという事は夢物語と考えていただろう。目的を失った時にどのように部隊を統率していったのかは興味ある所だ。


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