杉並区 07 (02/02/24) 旧井荻町 (井荻村) 旧上井草村 (2) 三家 (三谷、今川)
旧井荻町 (井荻村) 旧上井草村 小名 三家 (さんや)
三谷町 (さんやちょう、小名 三家の西部) [現 今川三丁目の一部、今川四丁目、上井草二丁目の一部、上井草三丁目の一部、桃井四丁目の一部] 【2024年1月30日訪問】
- 道灌橋跡
- 太田道灌陣所跡
- 道灌公園 (幕陣)
- 井草川支流 1 (2024年4月7日 再訪)
- 井草川支流 2 (2024年4月7日 再訪)
- 三谷公園
今川町 (いまがわちょう、小名 三家の東部) [現 今川三丁目の一部、今川二丁目の一部]
- 観泉寺
- 山門
- 本堂
- 庭園
- 観音堂
- 鐘楼堂
- 今川宝珠殿
- 七観音 (81番)、六地蔵 (82番)
- 無縁墓地、日本廻國供養塔 (79番)
- 今川氏累代の墓
- 子育て地蔵供養塔他
- 三谷子育地蔵堂、念仏供養塔 (91番)、子育地蔵尊 (90番)
- 馬頭観音坐像、日本廻國供艱塔、地蔵菩薩立像
- 北向地蔵 (117番)
- 庚申塔 (112番、113番、115番、116番)、馬頭観音 (114番)
- 観音像
- 地蔵菩薩像 (80番)
- 井草川支流 3 (2024年4月7日 再訪)
- 今川稲荷大明神
- 行刑屋敷跡
旧井荻町 (井荻村) 旧上井草村 小名 三家
三谷町 (さんやちょう、小名 三家の西部) [現 今川三丁目の一部、今川四丁目、上井草二丁目の一部、上井草三丁目の一部、桃井四丁目の一部] 【2024年1月30日訪問】
三谷町内の寺社仏閣や民間信仰の塔は以下の通り。
- 仏教寺院: なし
- 神社: なし
- 庚申塔: 庚申塔 (75番 瀬戸原に記載)
- 馬頭観音: なし
- 地蔵菩薩: 富士向観音 (74番 瀬戸原に記載)
- その他: なし
道灌橋跡
道灌公園 (陣幕)
井草川支流 1 (2024年4月7日 再訪)
井草川遊歩道に戻り、道灌橋から上流の西の少し進んだ所に南への細い路地 (写真上) がある。この路地がかつての井草川支流だった。この支流は源流とされる切通公園から、本流とは別に流れ出し、この地で本流に合流していた。この暗渠の路地は2月2日には通らなかったので4月7日に道をたどることにした。路地は南に進み (左下) 西側に方向を変え、三谷公園の南側を通っているが、路地はこの三谷公園で途切れている。この先には杉並工業高校があり、この支流はグラウンドの下を流れている。
井草川支流 2 (2024年4月7日 再訪)
井草川有報道に引き返し、井草川本流を上流に向かって少し進むと、もう一つ細い路地が北側に向かって伸びている。これも井草川の支流なのだが、本流から流れ出ているのではなく、北からこの支流が本流の合流している川だった。今では暗渠となっているので、川の流れの方向が分からず、資料を調べるとそうだった。遊歩道の入り口には熊にまたがった金太郎が描かれた車止めが置かれている。この車止めは杉並区を走っているとよく見かける。この表示がある道はかつての分水路跡を暗渠にした遊歩道と思って間違いない。
三谷公園
今川町 (いまがわちょう、小名 三家の東部) [現 今川三丁目の一部、今川二丁目の一部]
今川町内の寺社仏閣や民間信仰の塔は以下の通り。
- 仏教寺院: 観泉寺
- 神社: 今川稲荷大明神
- 庚申塔: 庚申塔 (112番、113番、115番、116番)
- 馬頭観音: 馬頭観音坐像、馬頭観音 (114番)
- 地蔵菩薩: 七観音 (81番)、六地蔵 (82番)、子育地蔵尊 (90番)、江戸向地蔵 (117番)、地蔵菩薩 (80番) 他
- その他: 日本廻國供養塔 (79番)、子育て地蔵供養塔、念仏供養塔 (91番)、日本廻國供艱塔 他
観泉寺
山門
本堂
庭園
観音堂
鐘楼堂
今川宝珠殿
七観音 (81番)、六地蔵 (82番)
無縁墓地、日本廻國供養塔 (79番)
今川氏累代の墓
観泉寺は今川氏の菩提寺で、無縁墓地の後ろが今川氏歴代の領主が眠っている墓地になる。直房の祖父氏真 (義元の子) 以降十二代から二十三代までの今川氏累代のお墓が設けられており、宝筐印塔五基、板碑型二基、無縫塔十二基、その他一基の合計二十基の墓が置かれている。
子育て地蔵供養塔
三谷子育地蔵堂、念仏供養塔 (91番)、子育地蔵尊 (90番)
馬頭観音坐像、日本廻國供艱塔、地蔵菩薩立像
左側の祠の中には三基の石塔が置かれている。
- 馬頭観音坐像 (左中) - 1899年 (明治32年) に造立された駒形石塔上部に馬頭観音坐像が浮き彫りされている。
- 地蔵菩薩坐像日本廻國供艱塔 (中中) - 1762年 (寶曆12年十月吉日) 造立、1899年 (明治32年) に再建された石塔。
- 地蔵菩薩立像 (78番 右中) - 1729年 (享保14年) に遅野井村講中34人により造立されている。正面には「地蔵菩薩念佛講女中」と刻まれている。地蔵尊の頭部は修復され新しくなっている。
- 北向地蔵 - 右側の堂には堂内いっぱい吊るされた千羽鶴の中に置かれた舟型石塔に地蔵菩薩立像 (右下) が浮き彫りされている。1732年 (享保17年) に西荻北4-37の地蔵坂 (別名 御立場坂 [おたてばざか]、寺分坂 [てらぶざか]) に造立されたものをここに移設している。地元の人からは北向地蔵と呼ばれていた。
庚申塔 (112番、113番、115番、116番)、馬頭観音 (114番)
- 供養塔 (左上) 1896年 (明治29年) に58人の連名で造立された角柱に「至心瞻禮 地藏像一切 悪事皆消滅」と刻まれている。
- 庚申塔 (116番 中上) - 1716年 (正徳6年) 造立の笠付角柱に月日、合掌六臂の青面金剛立像、三猿が浮き彫りされている。
- 庚申塔 (115番 右上) -1685年 (貞享2年) 造立の駒形角柱に月日、合掌六臂の青面金剛立像、三猿が浮き彫りされている。もとは荻窪中学校 の校庭の樫の樹の下にあった。昭和初期の区画整理前の寺分坂は、砂利を敷いた急坂で、この樫の木の所で曲がっていました。荷車をひいて下る時、車がつっ走って、この曲がり角がたいへん危険だったが、だれも怪我をしないので、村人達はこの庚申様のご利益だと感謝して、いつもお花が供えてあったという。
- 馬頭観音 (114番 左下) - 1824年 (文政7年) 造立の隅丸角柱で、正面上部に三面六臂の馬頭観音坐像が浮き彫りされ、その下に「馬頭観世音菩薩」と刻まれている。側面には「東 江戸」「西 ふちう」と刻まれて道しるべも兼ねていた。近代になってからは東多摩郡井荻村、豊島郡石神井村、北多摩郡吉祥寺村の三郡の境 (東京女子大の南角) に立てられていたので「三郡境の馬頭様」と呼ばれていた。
- 庚申塔 (113番 中下) - 1705年 (宝永2年) 造立の笠付角柱に月日、邪鬼を踏みつけた合掌六臂の青面金剛立像、三猿が浮き彫りされている。側面にも蓮が浮き彫りされている。
- 庚申塔 (112番 右下) -1745年 (延享2年) 造立された駒形角柱に上部に月日、その下に合掌六臂の青面金剛立像、三猿が浮き彫りされている。江戸時代の半ば頃、福寿庵 (現善福寺) の浄誉善入という坊主が、江戸市中を托鉢して浄財を集め、渡戸橋、地蔵前、新町の切通し、赤鳥居前、元宿、保久屋押出し、地蔵下 (原寺分橋) の七ヵ所に、石橋を架けて永久に壊れないようにと、七基の供養碑を建てて、祈願したといわれており、これは地蔵下 (原寺分橋) にあったものがここ地蔵堂に移設されていた。
観音像
地蔵菩薩像 (80番)
井草川支流 3 (2024年4月7日 再訪)
今川稲荷大明神
観泉寺の東側、井荻中学校の西の住宅街の中の小道を奥に入った駐車場の一画に今川稲荷大明神が置かれている。この神社の情報は見つからなかったが「今川」と冠がつけられているので、今川地区の鎮守だったのだろうか?
行刑屋敷跡
上井草村 小名 三家 (三谷・今川) 訪問ログ
参考文献
- すぎなみの地域史 3 井荻 令和元年度企画展 (2019 杉並区立郷土博物館)
- すぎなみの散歩道 62年度版 (1988杉並区教育委員会)
- 井草のむかし (2019 井口昭英)
- 文化財シリーズ 19 杉並の地名(1978 杉並区教育委員会)
- 文化財シリーズ 36 杉並の石仏と石塔(1991 杉並区教育委員会)
- 文化財シリーズ 37 杉並の通称地名 (1992 杉並区教育委員会)
- 杉並区の歴史 東京ふる里文庫 12 (1978 杉並郷土史会)
- 杉並 まちの形成史 (1992 寺下浩二)
- 東京史跡ガイド 15 杉並区史跡散歩 (1992 大谷光男嗣永芳照)
- 杉並区石物シリーズ 1 杉並区の庚申塔
- 杉並区石物シリーズ 2 杉並区の地蔵菩薩
- 杉並区石物シリーズ 3 杉並区の如来・菩薩等
- 杉並郷土史叢書 1 杉並区史探訪 (1977 森 泰樹)
- 杉並郷土史叢書 2 杉並歴史探訪 (1977 森泰樹)
- 杉並郷土史叢書 3 杉並風土記 上巻 (1977 森泰樹)
- 杉並郷土史叢書 4 杉並の伝説と方言(1980 森泰樹)
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