練馬区 24 (19/10/23) 関村 (2) 関町東
関村 関町東
- 法融寺
- かんかん地蔵
- 最勝寺
今日は練馬区散策の最終日になる。残っている関町東と関町北をめぐる。出発して道を進み関町の東側の地域の関町東から巡る。から
関村 関町東
関町東は練馬区の西部に位置し、東は上石神井、南は関町南、西は関町北、北は石神井台に接しており、主に住宅地となっている。
現在の関町東は江戸時代は武蔵国豊島郡関村の小名本村に相当する。1889年 (明治22年) の町村制施行により関村は東京府北豊島郡石神井村大字関甲となり、関町東は字地蔵裏にほぼ相当する。1932年 (昭和7年) に関村は板橋区石神井関町1~3丁目となった。1丁目は旧竹下新田の下竹 (渕崎、現在の関町北) 、3丁目は同じく上竹で、2丁目は関村の本村で、現在の関町東にあたる。広範囲の板橋区石神井関町1~3丁目は 1949年(昭和24年) に地番整理が行われ練馬区関町1~6丁目に分割されている。その後、1978年 (昭和53年) には住居表示が実施され、関町北と関町南が誕生し、残された地域の関町2丁目の大部分と上石神井一丁目が関町東となった。
関村時代には、この辺は本村、関のかんかん地蔵の北裏にあたるので通称を地蔵裏と呼ばれていた。
色々な資料に目を通したのだが、関町東には庚申塔や馬頭観音が残っていない。青梅街道が走っていたので江戸時代には庚申塔や馬頭観音があったと思われるが、開発に伴い消滅してしまったのだろうか? また、この関町東 (本村) で大泉、関町で信仰が広まっていた日蓮宗寺院がないのも興味深い。
江戸時代から戦前までは民家分布はほとんど変化がなく、青梅街道沿いに民家が集中している。戦後は民家は全地域に拡大している。
高度成長期前半には人口が増えたが、高度成長期が終わり、人口は減少に転じ、2000年以降はほぼ横ばい状況が続いている。
関町東は人口では練馬区の中では4番目に少ない地域。
練馬区史 歴史編に記載されている関町東内の寺社仏閣や民間信仰の塔は以下の通り
- 仏教寺院: 最勝寺、法融寺
- 神社: なし
- 庚申塔: なし 馬頭観音: なし
関町東 訪問ログ
法融寺
まずは阿弥陀如来を本尊とする真宗大谷派寺院の信願山法融寺に着く。徳川家旗本近藤政信の三男の釋玄正が東本願寺13世宣如上人により得度し開基となり、1645年 (正保2年) に江戸本町 (現 東京都中央区日本橋本石町) に創建されている。1657年 (明暦3年) の振袖火事で全焼し、幕府の命令によって東本願寺境内に移転し浅草東本願寺塔頭となる。1923年 (大正12年) の関東大震災で再度全焼し、本堂、庫裏は再建されたのだが、1945年 (昭和20年) 3月の東京大空襲で再び全焼した。戦後、1952年 (昭和27年) に、この地にあった真宗大谷派信願寺に合併し、旧山号蘆遮那山を信願山と改めて移転して来た。
墓地には江戸の歌舞伎狂言作者の桜田治助と、書家で歌人の会津八一の墓 (右下) がある。境内本堂向かって左手奥には会津八一の絵入り歌碑 (左下) もあった。
むさしのの くさにとはしる むらさめの いやしくしくに くるるあきかな(武蔵野に村雨がしきりに降って、我が庭の草に飛び散っている。そうして武蔵野の秋はますます深まっていく)
かんかん地蔵
法融寺から南に進み青梅街道にぶち当たり、その沿い、千川上水の西側に小堂が置かれている。この辺りは関町の本村で中心地だった。小堂の中には日本三大関 (美濃の関、鳥取の関、武蔵の関) の地蔵尊とされる石造の地蔵菩薩立像が鎮座している。寛永・正保年間 (1631~1644) の頃に造立されたとされているが、台座には1711年 (正徳元年) と刻まれている。地蔵のひざを石でたたけば願い事がかなうといわれ、長い間叩かれてきたために足もとが細くなり、近年補修されている。叩いた音から「かんかん地蔵」と呼ばれている。村に伝わっている話では、地蔵尊は日光東照宮 (1617年創建) に家康の骨が納められた頃、この辺りに悪い病気がはやり、多くの子どもが亡くなり、「生きとし生けるものの命を育み、迷いや苦しみを除いてくれる」という供養地と願いで造られたという。この地蔵尊は昔から三宝寺の管理だったが、この堂宇や補修は信者の寄附により行われていた。
このかんかん地蔵の右側には、1729年 (享保14年) に造られた胎蔵大日如来座像が置かれ、「奉▢大乗妙典二世安樂處」「武州豊嶋郡関村 法名道譽」と刻まれている。左側には1741年 (寛保元年) 造立の笠付角柱に勢至菩薩立像が浮き彫りされ、台石には「田中氏 講中 拾四人」「武刕豊嶋郡関村」と刻まれている。
最勝寺
武蔵関駅の東側に真言宗智山派の関星山最勝寺がある。上石神井村三寶寺の末寺で僧弘印 (寛永2年1625年寂) が開山となり創建したと伝わっている。正面に不動明王を祀る本堂 (写真右上)、左側が庫裏 (左下)、西には墓地が置かれている。この寺に関しての情報はこれ以上は見当たらなかった。墓地には17世紀、18世紀に像立された石塔や石仏が残っている。
関町東には史跡は少なく、次は関町北の史跡巡りに移る。
参考文献
- 練馬を往く (1983 練馬区教育委員会)
- 練馬区史跡散歩 (1993 江幡潤)
- 練馬区の文化財 指定文化財編 (2016 練馬区地域文化部)
- 練馬区史 歴史編 (1982 練馬区)
- 練馬区史 現勢編 (1981 練馬区)
- 練馬の寺院 三訂版 [郷土史シリーズ 3-4] (2004 練馬区教育委員会)
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