小豆島八十八ヶ所遍路 14 (05/05/23) 小豆島町 旧内海町 馬木 GEORGES gallery

旧内海町 馬木村

  • GEORGES gallery+KOHIRA cafe 
  • MOCA HISHIO Annex
  • 醤の郷現代美術館 (MOCA HISHIO)

5月2日に何十年振りに従兄弟の石井純氏に再開して、今日にもう一度会って食事をする事にした。石井さんはパナソニックの役員を経て退社後、祖父母の実家で瀬戸内国際芸術祭2019に参加して以来、ギャラリー、カフェ、美術館、イベント開催などを運営している。兄からこのことを聞き、何故?と思った。

GEORGES gallery+KOHIRA cafe

石井氏がこの事業を始めたのが、この GEORGES gallery + KOHIRA cafeになる。祖父母の実家を利用して作っている。子供だった時は、当時は履物屋を営んでおり、夏休みは良く遊びに来ていた。おばあさんには可愛がってもらい、今でも、当時の店の様子や優しいおばあさんの顔が浮かんでくる。はっきりとは覚えていないのだが、Kohiraとはおばあさんの名前の様な気がする。
何故、石井氏がこの様な事をやり始めたのかが気になっていた。会社で幹部や役員まで行った人の多くは、退職後は関係のあった会社の役員や相談役、コンサルタント、ヘッドハンターなどをしている事が多く、何らかの形でビジネスに関わっている。何故、この様な事を始めたのか?
思いついたのは、石井氏がパナソニックに入社して何年か経った時に石井氏の祖母の法事だったと思うのだが、その時に会った。石井氏が「会社で面白いことをやり始めた」と話始め、高揚した感じて内容や構想などを一気に話してくれた。(下の写真左から2番目の頃) それは「メセナ」だった。その担当になったのだ。当時はこのメセナと言う言葉はまだ知っている人は少なかった。その後、幾つかの企業がメセナを始めている。メセナとは「社会貢献の一環として行う芸術文化支援」で事業で得た利益を社会に還元すると言うものだった。多くの企業は会社イメージアップを目的として宣伝効果を期待してのものだった。その後、日本経済が沈滞すると、メセナ事業から撤退し、今ではメセナの言葉も聞かれなくなった。この時の活動が石井氏の今回の試みに関係しているのではと思った。当時、パナソニックでのメセナの話をワクワクして話してくれた顔を今でも覚えている。パナソニックでもメセナ事業は先細り、会社組織の中で理解者も少なくなり、石井氏がやりたいと思っていた事は全ては実現出来なかったのだろう。やり残したその思いが、今回は、小規模だが個人でメセナに踏み出したのだろう。
この様な想いを持っていても、それを実行できる人は少ない。もう一つ思い出したのが、石井氏の大学時代に作った同好会の話。大阪の吹田千里の家に遊びに行った時に、後に奥さんとなる女性 (写真左) も来ていた。二人で大学で新しい同好会を作った事を、これまた熱っぽく話始めた。大学では色々な事をやりたい。特定のひとつだけのクラブに属すのは気が進まない。ならば、色々な事ができるクラブを作れば良いと言う事だった。所属する大学に閉じるのもおかしいと感じ、部員は複数の大学に拡大していった。既存の概念に囚われない発想があった。その実現難易度などは気にしない無邪気な性格。疑問を持たずとにかくやってみる行動力とリーダーシップを持っていた。今回この一見無謀な挑戦に踏み出したのは大学時代と変わっていない。上に述べた様な事が自分の中にある石井氏のイメージで、当時は憧れでもあった。それから何十年も経ち、大手企業役員 (写真右から2番目) まで登ったので、当時の石井氏とは別人になっているかも知れないと言う不安と、持っているイメージ通りの石井氏だからこの事業を始めたのだろうと言う期待で再開 (写真右) となった。
三年毎に行われる瀬戸内国際芸術祭の小豆島アートプロジェクトの一つとして参加したのがGEORGES gallery で、ここに展示されている作品は小さな額の中にある三枚の写真。フランス写真家の Georges Rousse の作品だ。Georges Rousse は廃墟や取り壊す予定の建物の空間にインスタレーションを設置、それを写真作品として完成させるアーティスト。
インスタレーション・アートは現代美術の一つで、特定の室内や屋外などにオブジェや装置を置いて、作家の意向に沿って空間を構成し変化・異化させ、場所や空間全体を作品として体験させる芸術。Georges Rousse の場合は廃墟や取り壊す予定の建物にインスタレーションを加え新たな空間を作り出し、特定の地点から撮影した写真を作品にしている。インスタレーションを加え出来上がった空間を作品としているのが多いのだが、Georgesは写真が作品でインスタレーションを加えた空間は撮影後は撤去または取り壊されて存在しない。
この Georges Rousse の作品がここにあるのは、石井氏がパナソニック時代に神戸大震災の復興プロジェクトの「阪神アートプロジェクト」だったと教えてくれた。石井氏宅はまさに地震のあった神戸にもあり、地震の惨状を間のあたりにし、当時社会文化部に属していたことから、復興への貢献を模索の中で廃墟を使った作品を作る Georges Rousse を知るに至ったそうだ。廃墟を見て、そこにインスピレーションでメッセージを込めた作品を作っている。地震で破壊された建物を使い、震災の記憶を残すとともに、それが新しい創造と言う希望を表すと言う意味を感じたのかも知れない。このプロジェクトで8作品が生まれている。また同氏は東日本大震災の復興プロジェクトにも作品を作成している。
Georges Rousse の作品はあくまで写真で、被写体となるとインスタレーションは撮影後取り払われるか、元々解体予定の廃墟を使っているので消滅している。この小豆島馬木の3作品のインスタレーションは残されている。Georges Rousse はいつも通りインスタレーションは撤去するつもりだった。Georges Rousse のインスタレーション・アートは写真作品なのだ。インスタレーションはあくまでも作品を創造する媒体で、同じポイントから撮影すると誰でも Georges Rousse と同じ作品ができる。これは芸術の価値が下がると同時に収入の減少も意味する。芸術家としても敢えてインスタレーションを残さない方神は理解できる。確かに、このギャラリーを訪れる人のほとんどは写真よりインスタレーションに興味を持ち来ている。明らかにインスタレーションが主になり、本来の作品である写真が従となっている。これは必ずしも Georges Rousse が期待していた事とは事なるだろう。しかし、芸術は見る人に Experience  (感動) を与えるものであるから、この展示方法だからこそ写真だけより更に感動を与え、Georges Rousse の凄さが伝わっている。石井氏は、鑑賞者としての視点からこのインスタレーションを残す事を主張したが、Georges Rousse は写真家としての立場から難色を示したそうだが、石井氏の情熱を理解して残す事を快諾してくれたそうだ。これは石井氏だからこそできた事だろう。ただ、やはり写真が従になっているのは残念な所だ。鑑賞者の動線を工夫する必要がある。 (動線がどうなっているのかははっきりとは分からず、間違っているかもしれないが) 
この作品をトリックアートと思う人も多いかも知れない。これはGeorge にとっては不本意だろう。トリックアートの定義が一定しているわけでは無いが、主に目の錯覚などを利用して技法を駆使して作るもので、George のインスタレーション・アートとは異なっている。Georges Rousse はその場所を見て、その歴史、背景を理解して、沸き起こってくるイメージをメッセージとしてインスタレーションを付加するものだ。
最初にインスタレーションを見てしまうと写真はいつまでも従になる。インスタレーションはトリックアートの種明かしでは無い。まずは、もっと大きなサイズで写真の三作品だけを見せ、その後にインスタレーションを見せる方が写真も主となりインスタレーションが新たな作品となり、更に感動が増すと思える。

ここには三作品のうちのニ作品のインスタレーションが見れる。中二階にある「ロフトの寝室」のインスタレーションは部屋にチョークで網目を描いている。写真作品と同じ様には撮れなかった。小豆島で漁で生活をしている漁師の家の網を表しているのかも知れない。上に載せた作品の写真は薄暗い部屋の中に網が浮き出ている。同じように撮ろうとアングルを変えたが無理だった。これは凄いと思った。
二つ目は広間に描かれた金の球体。この作品「祖父母の家の和室」がこのギャラリーの看板作品として多くの記事に掲載されている。Georges Rousse はこの部屋を下見してこのイメージが浮かんだのだ。何を表そうとしたのかはわからないのだが、西欧人が見た日本のイメージなのか、質素な伝統的日本家屋の中に金の国と思われていた日本なのか? 金の球体の中に立ち、その前に座った写真を石井氏に撮っていただいた。球体に吸い込まれた様にも見える。
三つ目の作品「従兄の納屋」のインスタレーションはここには展示されていないのだが、撮影後暫くした時の写真がある。二つを比較するとインスタレーションはどんどんと朽ちていき、もう同じ写真は撮れなくなっている。これは他の2作品も同じ様になって行くのだろう。写真はその瞬間を写し感動を与える芸術だ。最も輝いている瞬間を捉えて残す。インスタレーションでそれを表現しているので、Georges にとっては、その後のインスタレーションには興味がないにかも知れない。

MOCA HISHIO Annex

旧石井はきもの店の前にレンガ造りの倉庫らしきものがある。これも石井氏が発案し作ったものだ。醤の郷現代美術館(MOCA HISHIO) の別館になり、MOCA HISHIO Annexという。中には絵が飾られ、ギャラリーの様になっている。映画なども上映している。今日はここでコンサートが行われている。今朝、大阪から姉が来島し、出迎えの時間の関係でコンサートは見れなかったのだが、コンサート終了後に特別に演奏を披露していただいた。大地の種 (Seeds of Earth) というユニットだ。植物は人間には聞こえないが音を発している。それを電気を通して聞こえる音に変え、それに合わせて演奏をする音楽家が何人かいる。その為に植物が発する音をMIDIへの変換装置も進化しているそうだ。
大地の種 (Seeds of Earth) はパーカッションを担当する垣内さんとボーカル担当の馬場さんで、譜面がある楽曲もあるのだが、植物の音に合わせてインスピレーションで歌ってくれた。素晴らしい演奏だった。後で石井氏、姉も交えて記念撮影。


醤の郷現代美術館(MOCA HISHIO)

旧石井はきもの店の裏側、内海八幡神社側には醤の郷現代美術館(MOCA HISHIO) がある。この建物は、1928年に醤油会館として建てられた島内最初のコンクリート建築で、その後は図書館として使われていたが、長い間使われていなかったものを、石井氏が10年間借り受け、殆ど自費にて改装し、小豆島アートプロジェクトの第二弾として現代美術館として生まれ変わったもの。こんな所に美術館を?と思うだろう。経営が成り立つのだろうか?石井氏はこの事業はメセナと割り切っている。営利目的で有れば、もっと良い場所はある。石井氏は小豆島生まれでは無いのだが、祖母が生きたこの場所は故郷と思っている。それゆえ、この地に個人としてメセナ (芸術文化支援 ) で社会貢献をしたいと言う想いで始めている。館内には100点以上の絵画などの作品が展示されている。プロジェクト構想が決まってから、自費にて集めたものや、島外、島内の芸術家に制作依頼したものだ。その中で絵本挿絵などを手がける河野ルルさんの壁画 (写真左中) がある。島の子供達の為の特別な部屋になっている。子供達を招待し、この部屋で一緒に絵を描くのだ。石井氏のメセナ活動の重要なテーマの一つは子供達の未来がある。小豆島には大学はなく、高校を卒業すると進学で島を出ていき、大学卒業後はその地で就職、結婚、家庭を持ち、島には帰ってこない人が多い。これは仕方が無い事だが、島で過ごす時間は子供にとって大切な期間、島への誇りを持ってもらいたいと言う想いがある。子供達が美術館に来て絵を見て「面白い、すごい」と言う時がたまらないそうだ。子供に Experiennce (感動体験) を与えたいのだ。
石井氏が自費にて集めた作品の中には有名芸術家術の作品もある。イサム・ノグチ、シャガールなど。その中で子供達が喜ぶだろうと思うバルセロナオリンピックのマスコットだったCobiもあった。
一つの部屋に壁画が描かれている。森の生きものをテーマにした小野純一さんの壁画で、まだまだ進化していく様だ。次に訪れる時に樹々がどれだけ成長しているのかが楽しみだ。この日は小野純一さんのお母さんが来ていて。ここで、大地の種のメンバーと一緒の写真を撮ってくれた。お母さんはデザイナーをしており、彼女が撮った写真 (左下) も展示されている。

夜は姉と一緒に食事をご馳走していただいた。今日石井氏と再開して、何十年前の大学時代、パナソニック時代と想いや情熱が変わっていない事は大きな喜びだった。期待通りの石井氏のままだった。


この日の訪問記とは直接関係はないのだが、石井氏の現在のメセナ活動のバックボーンにはもう一つの要素があるように思える。それは石井純氏の父親の石井健一氏の影響とも思われる。私の叔父にあたり、叔父が亡くなるまで、変わらず可愛がって貰った。健一氏は地質考古学の大学教授だった。退任後、岡山のトレハロースなどで稼いだ林原が資金を出しメセナを行っていた。叔父の研究の延長線で恐竜博物館の建設を目指し、モンゴルで恐竜の骨などを集め準備をしていた。このプロジェクトは林原の経営不振で中止となってしまった。純氏が形は異なるが、健一氏の夢を実現しようとしているようだ。日本一周の旅の途中に叔父の足跡を辿って見たレポートも残している。



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