Okinawa 沖縄 #2 Day 217 (30/09/22) 那覇 泊区 (01) Tomari Area 泊地区
那覇泊区 泊集落 (とまり、トゥマイ)
- 宗元寺跡
- 宗元寺之嶽
- 宗元寺橋 (安里橋)
- 昭和高等女学校跡
- 泊高橋
- う先 泊竜宮神、泊高橋節の歌碑
- 泊港
- 外人 (ウランダ) 墓地
- 新屋敷公園 (ウシャギ御嶽)
- 泊散策道
- 泊小学校旧校舎時計台
- 泊大阿母火神
那覇泊区 泊集落 (とまり、トゥマイ)
- 安里八幡宮 (安里)
- 神徳寺 (安里)
- 浮縄嶽 (安里)
- 神良御川 (カンラガー 安里)
- 宗元寺 (泊)
- 馬鞭の御嶽 (泊)
- 崇元寺の井戸 (泊)
- 雨乞いの御嶽 (泊 消滅)
- 隠居のお寺 (泊 崇元寺裏の山の北方、消滅)
- 火の神御嶽 (泊 泊大阿母火神?)
- ウシヤギ御嶽 (泊 新屋敷公園)
- 潮花司 (天久 スーバナチカサ)
- 黄金御嶽 (おもろまち)
- ユヤギお嶽 (天久 聖現寺の石垣囲い外の南角 消滅?)
- フルフェーリン (天久)
- 大御嶽 (天久)
- 崎樋川 (天久)
- 平中の樋川 (?)
- 前島の久場の山の御嶽 (?)
- 兼久の祠 (兼久の島 前島町二丁目、消滅)
泊地区訪問ログ
宗元寺跡
宗元寺之嶽
昔、安里大親が首里からの帰路、泊の実家に帰宅する途中、一休みをしていると、品のいい白髪の老人に「お茶でも飲まないかね」と誘われて立派な邸宅に招かれました。そこで碁を打ち、料理をもてなされたのですが、翌日、その場所に行ってみると、その邸宅が見つかりませんでした。しかし、その翌日、また、その老人に誘われました。帰る際に安里大親は、その場所の目印として馬の鞭を立てて帰宅をしました。翌朝、来てみると、鞭は残っていましたが、鞭を立てたところには、邸宅の面影は微塵もありませんでした。
この老人は神様であり、この場所に家を構えるようにとのお告げがありました。安里大親はそこに屋敷を建て、そののち、この敷地が崇元寺になったそうです。
宗元寺橋 (安里橋)
1945年 (昭和20年) の沖縄戦の際、米軍の進攻を遅らせるため日本軍により爆破された。戦後になって再建されたが、元あった場所より50m程上流に架け替えられた。2004年 (平成16年) 欄干を戦前の安里橋をモチーフにして架け替えられている。
昭和高等女学校跡
宗元寺橋のすぐ西、安里川岸に昭和高等女学校跡碑が置かれている。ここには1932年 (昭和7年) 沖縄で最初の私立女学校が開校した場所になる。和裁洋裁の他に、そろばん、簿記、和文・英文タイプなどの商業科目の4年制の女子実業教育を目指した先駆的な女学校だった。設立当時、学級数は5、生徒数152名だったが、1943年 (昭和18年) には学級数6、生徒数320名と発展している。この付近に梯悟の並木道があった事から梯悟の花が校章となり、沖縄戦に参加した学徒隊は、戦後、梯悟学徒隊と呼ばれた。校舎は1945年 (昭和20年) 5月、沖縄戦により創立13年で焼失した。戦後、再建の取り組みが行われたが当時の情勢はそれを許さず、遂に閉校となっている。
泊高橋
泊港の上流部の安里川には泊村と兼久 (前島) を結ぶ泊高橋が架かっている。那覇市と中北部をむすぶ要衝で、県下で交通量のもっとも多い地点になる。泊阿嘉 (トゥマイアーカー) で有名な橋だ。泊阿嘉は我如古弥栄 (がねこやえい 1881-1943) による琉球歌劇の代表作一つで、1910年に初演されている。
3月3日浜下りの日、若狭の赤津浦浜 (アカチラハマ) で、久茂地の樽金 (タルガニー) と泊の思鶴 (ウミチル) が出会います。そして、思鶴に一目惚れした樽金は泊高橋に通い詰め、99日目にその恋は成就しました。ところが、樽金家と思鶴家は敵対関係にあり、樽金の父親は、二人を引き離すために、樽金を伊平屋島の仕事に就けてしまいます。悲しみにくれる思鶴は病に伏し、とうとう命を落としてしまいました。そして、伊平屋島から那覇に戻った樽金は思鶴の死を知り、思鶴の墓前で自ら命を断つのでした。
う先 泊竜宮神、泊高橋節の歌碑
泊港
外人 (ウランダ) 墓地
琉球には古来しばしば外国船が訪れており、泊村の沖合いに停泊し、泊港に上陸した。先日訪れた聖現寺 (天久之寺 現在の水産高等学校の敷地) を琉球滞在中の活動の拠点としていた。1816年 (尚灝王13年) にはイギリスのバジル・ホールの艦隊、1853年 (尚泰王6年) には米国のペリー提督の黒船艦隊が来琉している。長旅の末や慣れない異国での滞在が長期であったことからこの地で亡くなっている人もいた。その亡骸は聖現寺近くに葬られ、現在でも外人墓地 (ウランダ墓) として残っている。敷地内にはペリー艦隊来航記念碑が1964年に建てられている。
新屋敷公園 (ウシャギ御嶽)
泊散策道
泊小学校旧校舎時計台
泊大阿母火神 (トマリヌオオアモヒヌカン)
参考資料
- 那覇市史 資料篇 第2巻中の7 那覇の民俗 (1979 那覇市企画部市史編集室)
- 沖縄風土記全集 那覇の今昔 (1969 沖縄風土記刊行会)
- 泊誌 (1974 とまり会)
- 青い目が見た「大琉球」(1987 ラブ オーシュリ)
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