Okinawa 沖縄 #2 Day 199 (02/08/22) 旧宜野湾間切 (19) Uehara Hamlet 上原集落
旧宜野湾間切 上原集落 (うえはら)
- 佐喜真 (さきま) 美術館
- 佐喜真 (サチマ) 墓
- 村屋跡
- 上原児童公園
- ヤージヌカー
- 赤道井 (アカミチガー)
- ンナジガー
- 新城井 (アラグスクガー)
- 新垣山の壕
旧宜野湾間切 上原集落 (うえはら)
上原集落訪問ログ
佐喜真 (さきま) 美術館
沖縄戦の図 (1984)
チビチリガマ (1987)
シムクガマ (1987)
読谷三部作の残りの残波大獅子
沖縄戦の図 [八連作 1983] 久米島の虐殺 (1)
沖縄戦の図 [八連作 1983] 久米島の虐殺 (2)
沖縄戦の図 [八連作 1983] 喜屋武岬
沖縄戦の図 [八連作 1983] 自然壕(ガマ)
沖縄戦の図 [八連作 1983] 亀甲墓
沖縄戦の図 [八連作 1983] 暁の実弾射撃
沖縄戦-きゃん岬 (1986)
沖縄戦-ガマ (1986)
びじゅつかんへお出かけ
おじいちゃんや
おばあちゃんも
いっしょに
みんなでお出かけ
うれしいな
こわくてかなしい絵だった
たくさんの人がしんでいた
小さな赤ちゃんや、おかあさん
風ぐるまや
チョウチョの絵もあったけど
とてもかなしい絵だった
おかあさんが、
七十七年前のおきなわの絵だと言った
ほんとうにあったことなのだ
たくさんの人たちがしんでいて
ガイコツもあった
わたしとおなじ年の子どもが
かなしそうに見ている
こわいよ
かなしいよ
かわいそうだよ
せんそうのはんたいはなに?
へいわ?
へいわってなに?
きゅうにこわくなって
おかあさんにくっついた
あたたかくてほっとした
これがへいわなのかな
おねえちゃんとけんかした
おかあさんは、二人の話を聞いてくれた
そして仲なおり
これがへいわなのかな
せんそうがこわいから
へいわをつかみたい
ずっとポケットにいれてもっておく
ぜったいおとさないように
なくさないように
わすれないように
こわいをしって、へいわがわかった
佐喜真 (サチマ) 墓
村屋跡
上原児童公園
ヤージヌカー
赤道井 (アカミチガー)
ンナジガー
新城井 (アラグスクガー)
今日はいつもより少し早く集発したので、中原、赤道、上原と三つの集落を見てきたが、まだ時間が少し残っているので、次回訪問予定の野嵩集落の一部も見ることにした。巡っていると、近くにまだ文化財があるので、せっかくなので見学していると時間がすぐてしまい、ようやく切り上げて帰途に着く。
新垣山の壕
帰り道の途中、中城村の新垣の普天間川沿いに、沖縄戦当時上原集落住民が避難していた新垣山の壕があった場所を訪れた。はっきりとした場所はわからないが、だいたいこの辺りにあったと思われる。上原集落の西側の地域は自然のガマ (洞穴) があったので、そこを利用したが、 ガマがなかった東側)の地域の住民が、共同で整備した避難壕になる。長さが南北に約100m.、幅約5.6mで、通り抜けができるよう、2ヵ所の入口があったトゥールーガマ (通り抜け洞穴) で、米軍上陸後、100人ほどが避難していたが、日本軍が来て南部に逃げるように指示があり、住民は散り散りになってしまった。直ぐ近くに普天間川が流れているので、避難中はこの川の水を飲料水として使っていたのだろう。
新垣山の壕を後にして、家にたどり着いた時には7時半を回って薄暗くなっていた。今日は、気温は高いのだが (とはいっても32度ぐらいで、東京など関東に比べれば、それほど高くない) 穏やかな風が吹いており、自転車で走っていると風が気持ちよいくらいで過ごしやすい一日だった。
参考文献
- 宜野湾市史 第5巻 資料編4 民俗 (1985 宜野湾市史編集委員会)
- 宜野湾市史 第8巻 資料編7 戦後資料編 (2008 宜野湾市史編集委員会)
- 宜野湾市史 別冊 写真集「ぎのわん」 (1991 宜野湾市教育委員会)
- ぎのわん市の戦跡 (1998 宜野湾市教育委員会文化課)
- 宜野湾 戦後のはじまり (2009 沖縄県宜野湾市教育委員会文化課)
- 沖縄風土記全集 第5巻 宜野湾市・浦添村編 (1968 沖縄風土記社)
- ぎのわんの地名 (2012 宜野湾市教育委員会文化課)
- 沖縄戦の図 (1984 丸木位里 原爆の図丸木美術館)
- 沖縄の心を (2006 佐喜眞道夫 佐喜眞美術館)
- 「佐喜眞美術館のスタンス 丸木位里・俊、ケーテ・コルヴィッツを中心に」展 (2016 惣城友美)
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