Okinawa 沖縄 #2 Day 199 (02/08/22) 旧宜野湾間切 (18) Akamichi Hamlet 赤道集落
旧宜野湾間切 赤道集落 (あかみち)
- マーカーガー
- ミーチバカ
- ジュリバカ (遊女墓)
- 赤道公民館 (赤道児童センター)
- 井泉跡 (カーc)
- 闘牛場 (ウシモー) 跡
- 村屋 (ムラヤー)
- 井泉跡 (カーd)
- 井泉跡 (カーa)
- シキルガー跡
- ホー三―アブ跡
- 按司墓 (アジバカ)
- 井泉跡 (カーb)
旧宜野湾間切 赤道集落 (あかみち)
赤道単独の人口情報は、戦前直前の1944年から1953年までしか見つからなかったが、それによれば、中原と赤道の人口はほぼ同じぐらいだった。どのような背景なのかは分からないが赤道、中原、上原ともに、1953年にはそれ以前の人口に比べて6割程度に減っている。これがその後の合併するに至った理由なのだろうか?
赤道集落訪問ログ
赤道集落の西から見ていくことにする。
マーカーガー (未訪問)
集落西側のマーカーバルにマーカーガーがあったそうだ。現在は宅地となっているが、拝所が残されていると資料にはあったが、地図で示された場所付近を探すも、香炉は見つからなかった。写真は地図で示された場所。工場の休憩所となっている。
ミーチバカ
マーカーガー跡 (見つからず) のすぐ西に、墓群があり、その中に三連墓があり、ミーチバカと呼ばれている。三連の墓は珍しく、地元の有力門中の墓なのだろう。
ジュリバカ (遊女墓)
ミーチバカから落集中央に向かったところ、赤道公民館の西側のあかみち公園の小高い丘には、公園造成前にはは4~5基の墓があったという。ジュリバカ (遊女墓) と呼ばれていた様だ。実際にジュリ (遊女) が葬られいたのかは書かれていない。イニンビー (火) が出たと いわれ、怖いところといわれていた。墓は造成時に取り壊され、消滅している。幾つかの集落で、ジュリバカ (遊女墓) と伝えられている墓が紹介されていた。身寄りのないジュリ (遊女) を不憫に思い村人が葬っていたのだろう。本土でも、同じ理由で地元の人が遊女を葬った遊女墓があった。
赤道公民館 (赤道児童センター)
あかみち公園の隣に公民館の機能を兼ねた赤道児童センターがある。赤道、中原、上原が合併して、中原区公民館は旧中原集落の近くに移転しているが、その後の赤道の公民館的役割はこの施設でかねている。
井泉跡 (カーc)
ジュリバカ (遊女墓) の少し南東に井戸がある。現在も水が湧いているそうだ。ドアの扉で蓋がされていた。以前は、周囲の家庭が利用していたという。井泉の名前はないそうなのでとりあえず「カーc」として訪問ログの地図に記載する。
闘牛場 (ウシモー) 跡
赤道地区の南側にある特別養護老人ホーム福寿園の敷地内の一画に木々が繁る丘が残っている。戦前は、ここは闘牛場 (ウシモー) だったそうだ。丘を上がると草で覆われてはいるのだが、広場になっている。多分この広場が闘牛場 (ウシモー) 跡なのだろう。
村屋 (ムラヤー)
戦前は集落南東に村屋が置かれていた。戦後は、国道330号沿いに移動し、1964年 (昭和39年) の行政区再編で赤道、上原、中原が統合し、中原区になった際に現在の公民館の場所に移動している。
井泉跡 (カーd)
集落内を走っていて、たまたま見つけた個人宅の井戸。古い手押しポンプが設置されている。戦後はこのような井戸が、各家庭にあったのだろう。
井泉跡 (カーa)
集落東端の屋号 新百久の南側に井戸があり、この場所の二つの家で使っていた。現在も形は残っている。
シキルガー跡
ホーミーアブー跡
按司墓 (アジバカ)
ハンタミチの東側斜面に按司墓 (アジバカ) がある。 古戦場の人骨を集めた墓で、昔のサムレー (さむらい) の骨だと伝わっている。墓があった丘の上には印部石もあったのだが、墓も印部石も2010年頃に、丘が削られて消滅してしまった。
井泉跡 (カーb)
按司墓から上原集落に向く途中、赤嶺集落の北東端になるのだが、そこにあった屋号 津堅ヌ下タマター小の北側にもポンプで水を汲み上げる井戸が残っている。現在も残っており蓋がされていたが、井戸からホースが隣の農地に伸びているので今でも使われているようだ。
これで赤道集落巡りは終わり、上原集落に向かう。
参考文献
- 宜野湾市史 第5巻 資料編4 民俗 (1985 宜野湾市史編集委員会)
- 宜野湾市史 第8巻 資料編7 戦後資料編 (2008 宜野湾市史編集委員会)
- 宜野湾市史 別冊 写真集「ぎのわん」 (1991 宜野湾市教育委員会)
- ぎのわん市の戦跡 (1998 宜野湾市教育委員会文化課)
- 宜野湾 戦後のはじまり (2009 沖縄県宜野湾市教育委員会文化課)
- 沖縄風土記全集 第5巻 宜野湾市・浦添村編 (1968 沖縄風土記社)
- ぎのわんの地名 (2012 宜野湾市教育委員会文化課)
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