Okinawa 沖縄 #2 Day 0 (9/4/20) 沖縄生活を始める

昨年の年末に日本一周の終えて、大阪から沖縄に移動した。沖縄に来た理由は四月から沖縄国際大学で沖縄の歴史文化の講義に聴講生として参加するためだった。年が明けて住まい探しを始め、ようやく2月始めに決まった。那覇市国場にある6階建マンションの5階の1Kだ。インターネット付き、ガスレンジ、エアコン、シャワートイレなどが完備されていて設備としては他の物件と比較して充実している。これで月5万円で光熱費を入れても5万5千円なので、東京と比較して半分以下の価格。那覇から離れれば、安い物件は数々ある。

椅子と机は近くのリサイクルショップで調達。これ以外に家具は無い。
部屋のある5階からの風景。左上は那覇市内、右上はマンション裏ので長嶺グスクがあった丘陵が臨める。

新居も決まったので2月中に東京にもどり、役所関係の手続きとトランクルームに預けている荷物の沖縄への配送を行う。東京滞在は2週間半ぐらいになり、その期間に友人との会食や江戸城探索、川越観光などで楽しんだ。泊まっていた宿では多くの人と知り合った。日本で中華料理店の開業を目指している中国ハルピンからの王さん、東京オリンピックの選手村でアフリカファッションショーを計画しているアメリカ人のジョンさん、40歳をすぎても教員の夢が捨てきれず大学の通信講座で教員免許の取得で頑張っている大森さんなどと、毎日、宿で集まり食事を一緒にとり、飲み会に移行していろいろな話をしていた。王さんは中国国営のシェフの腕前を披露してくれ、みんなに中華料理を振る舞ってくれた。宿にはアルツハイマーを患っている爺さんが泊まっていたが歩くのも大変なようだ。ジョンは中国で大学に行っているアメリカ人と旅行をしているフランス人の3人で手分けして毎日、この爺さんの面倒を見ていた。この輪の中に知らず知らずに我々もこの爺さんと話をしたりするようになった。見て見ぬふりをしたり、声をかけずらい日本人と違い、躊躇いもなく弱者に手を差し伸べる欧米人の気質にはした。その後、この爺さんはとうとう倒れてしまい救急車で病院に運ばれ入院となった。回復していればいいのだが。

2月末に那覇に戻り、ゆうパックで送った荷物の到着を待つ。荷物はかなり少なく、デスクトップパソコンとあとはダンボール箱4つのみ。東京に置いていった自転車2台を除いて、これが今の持っているものの全て。苦笑してしまう。これでもまだいらないものが半分ぐらいあるだろう。それでも何の不自由も感じない。2年間の自転車旅で、物質的な豊さは最低限でいいのだと思うようになった。一番の贅沢は自転車だ。3台も持っている。これが唯一の贅沢。同時に乗れるのは、一台だけなのだが..... 。自転車二台は友人の土肥さん宅の倉庫に置かせてもらうことにした。東京に来たときに使うためだ。自転車はもう一台あり、それは昨年末に大阪から那覇まで輪行して置いている。沖縄での移動は全て自転車で行っている。那覇はそれほど大きくないので自転車で十分何所でも行ける。荷物が届き、食器など雑貨類を揃える。沖縄滞在は一年を予定しているので、最低限で良い。家電製品はとりあえず買わないことにした。冷蔵庫は土肥さんのアパートを使わせてもらっている。洗濯はコインランドリーで十分。買わない理由はもう一つあって、土肥さんのアパートを引き払い、ここに事務所を移すかもしれないので、そのときに冷蔵庫とか炊飯器、電子レンジが来ることになる。今買ってしまうとダブルになってしまうので、どうするかはっきりするまで、購入を控えているのだ。ただ、なくても特に困らない。3月中はゆっくりと過ごす。2年ぶりのボケーとした生活。4月から大学の授業が始まり、そこからエンジンがかかる。

様々な花が咲いている。もうひまわりも花を受けている。南国だ!

4月3日に沖縄国際大学に講義聴講の申し込みに行く。この大学には沖縄の歴史、文化、経済に関わる講座が数多くある。琉球大学も考えたのだが、こちらには沖縄に関して公開している講座は一つだけだった。沖縄にある大学なのに沖縄に関する講座がほとんどない。これは国立大学のあぐらをかいた状況が現れている。琉球大学は国立大学の中でも評価されていない大学。琉球大学としての特徴がないからだろう。いったい何を目指して、「琉球」と言う名前をつけたのだろう。琉球が前面に現れないただの二流大学になっている。もったいない。

4月8日から授業が始まる。4月8日からの一週間で受講希望の講座の教授に申し込みをしてっつづき完了だ。ワクワクしている。受講するのは、明治維新までの琉球史と琉球語の二つの講座に絞り、残りの日はこの講座に関わることを、図書館での調べ物、レポート、現地訪問なので過ごす予定だ。

コロナウイルスの感染が広がって来ている。沖縄はそれ程広がっておらず、大丈夫かと思っていたが、4月8日に聴講申し込みの頃に少し感染者が出始めている。ただ、まだ感染者は少ない。東京は大変なことになっている。テレビはまだ設置していないので、詳しい情報はわからないのだが、インターネットで広がっていることは知っていた。緊急事態宣言が出ると言う情報が出た途端、沖縄も事態が一変。公立学校の再開延期。県外からの沖縄への移動の自粛、帰省の自粛などが要請され始めた。これは大学にも影響があると思い、大学のホームページにアクセスしてみた。大学の再開は延期されている。公開講座の聴講は9月までの前期は中止となっていた。少しがっかり。楽しみししていたし、聴講のために沖縄に移って来た訳だから...。ただこの状況なので仕方がない。大学で講座を受けるだけが唯一の方法ではないので、この半年は自分のやり方で勉強をしていこうと思う。


講座開始2日前にこの案内がホームページで出ていた。残念!

と言うことで、昨年沖縄に数ヶ月滞在した時のように、徹底的に史跡を廻り、その史跡を切り口として研究を進めていくことにする。その訪問記録は同じようにこのブログに記載することにする。

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