Tokaido 東海道 02 (31/10/19) Kanagawa Shuku 神奈川宿
(02) Kawasaki Shuku 川崎宿
- 川崎大師
- 万年屋跡
- 川崎稲荷社
- 田中本陣跡
- 一行寺
- 川崎宿交流館
- 宗三寺
- 問屋場/中の本陣
- 小土呂橋
- 大徳寺
- 佐藤本陣跡
- 教安寺
- 川崎宿京入口
- 芭蕉句碑
- 八丁畷無縁塚
- 市場一里塚
- 鶴見川水難者慰霊供養塔
- 寺尾稲荷道
- 鶴見神社
- 設楽茶屋
- 名主佐久間家
- 鶴居堂
- 道念稲荷
- 生麦事件発生現場
- 生麦事件碑
- 東子安一里塚
(03) Kanagawa Shuku 神奈川宿
- オランダ領事館跡 (長延寺)
- 良泉寺
- 能満寺
- 神明宮
- 熊野神社
- 金蔵院
- 神奈川宿高札場跡
- 外国宣教師宿舎跡 (成仏寺)
- フランス領事館跡 (慶運寺)
- 神奈川台場跡
- 滝ノ橋と本陣跡碑
- 神奈川の大井戸
- ヘボン博士施療所跡 (宗興寺)
- イギリス領事館跡 (浄瀧寺)
- 権現山城跡
- 洲崎大神
- 普門寺
- フランス公使館跡 (甚行寺)
- アメリカ領事館跡 (本覚寺) / 青木城跡
(02) Kawasaki Shuku 川崎宿
川崎大師
[大山門/不動門] 川崎大師の入り口はいくつかあるのだが、参道の仲見世通りからは表玄関にあたる大山門 (写真右上) と不動門 (写真左上) がある。規定コースの大山門から入る。大山門が建っている所は、元々は山門があったのだが、空襲で焼失した。そのあと昭和23年に福島県にあった門を移設していたが、昭和52年 (1977) に開創850年の記念事業としてここに大山門が建てられた。門の入り口には大きな提灯、両脇には四天王像が安置されている。提灯には「魚がし」と書かれてあり、これは魚河岸講と呼ばれるのだが、魚河岸が仲間を募ってこの川崎大師に参拝した時に奉納したもの。江戸時代にはこの「講」が盛んで、富士講とか伊勢講とか神社やお寺へのツアーが行われていた。今でもいくつかの「講」は続いており、ここでも魚河岸講が健在。大山門が建てられた時に、昭和23年に移設された門は、数十メートル離れた所に不動門として移設された。
[納札所/聖徳太子堂/お水屋] 大山門を入ると正面に大本堂、左手に五重塔が現れる。右手には、納札所と聖徳太子堂、そして手を清めるお水屋がある。
[経堂] 大本堂に進むと、左手にお経を保管している経堂があり中が見学できるようになっている。天井には飛天が何体も描かれ、正面の金色の釈迦像の周りには経典がいっぱい納められ、前には金剛杵 (こんごうしょ) が置かれている。この飛天と金剛杵は寺を見学するとよく見かけるのだが、その意味については気にはなっていたが、調べていなかった。この際、ちゃんと理解しようと言う事で、調べてみた。飛天はインドのガンダーラの仏教美術が日本に伝わり、奈良時代の法隆寺などでも描かれている。このガンダーラはペルシャ帝国の支配下にあった時代に、ゾロアスタ教の有翼神像が形を変えて飛天になったと言われている。飛天はその後、天女と変化していった。金剛杵も良く見かけるもの。金剛杵はインド神話ではヴァジュラと呼ばれ、インドラ (帝釈天) がこのヴァジュラを用いて、蛇の形をした悪魔の首領のヴリトラを退治したと伝わる。煩悩を滅ぼすと言う菩提心の象徴として、このヴァジュラが法具としてチベット仏教や日本では天台宗、真言宗、禅宗で用いられている。仏教も他の宗教と同じく、古代宗教の発展型のように見える。これは神道の日本神話やキリスト教の旧約聖書と成り立ちが同じように思える。(キリスト教徒は違うと言うだろうが、そのバリエーションの一つに思える。)
[大本堂] 1964年 (昭和39年) 5月落慶。ここにも大きな提灯が二つ。本尊は弘法大師。弘法大師が本尊の真言宗の寺は時々見かける。これは少し違和感を感じる。真言宗は大日如来を仏とし、それ以外の諸仏、諸菩薩、諸明王は大日如来の化身としている。弘法大師も大日如来の化身と考えて本尊にしているのだろうか? ここの所は宗派によって教義が違い、仏教を理解するのが難しいところだ。
[八角五重塔] 中興塔が正式な名前。1984年 (昭和59年)、弘法大師1150年御遠忌、大開帳記念として落慶。ここの五重塔は八角で珍しい。日本で現存している八角の塔は長野県の安楽寺八角三重塔だけだそうだ。どこにもはっきりとは書いていないのだが、川崎大師の八角五重塔が焼失前には、存在していなかった様だ。塔の近くには金色の「祈りと平和の像」が建っており、中央の女神が「祈り」、周囲の天女が「平和」を表しているそうだ。
[大坊堂/浄光殿/鐘楼/北の湖像] 大本堂に向かって左に寺務所の大坊堂 (左上)、檀徒菩提所の浄光殿 (右上)、鐘楼 (左下) がある。秋なので、境内には菊の花の品評会や即売所が設けられてあった。大相撲の横綱だった北の湖の像がある。力士では無く紋付袴の理事長時代の像だ。何故ここにと思っていたのだが、北の湖は出身は北海道だが、この川崎大師の檀徒でお墓もこの寺にある事が分かり、納得。
[不動堂/中書院/茶筅塚/六字名号塔] 大本堂の隣の奥まった所に、不動堂 (左上)、中書院 (右上) があり、中書院の所には茶筅塚と六字名号塔がある。不動堂は比較的新しく明治23年の創建で、空襲で焼失後、昭和39年に造られ、成田山新勝寺の本尊を勧請した不動明王像が本尊。不動明王は起源をヒンドゥー教の神の一つで、空海が伝えた密教では大日如来の化身とされている。真言宗をはじめ、天台宗、禅宗、日蓮宗等の日本仏教の諸派および修験道で幅広く信仰されている。中書院は1966年(昭和41年)に造られ、信徒接待にも使用される。寛永5年建立の六字名号碑が
[弘法大師道標/鞠塚/力石] 弘法大師の遍路姿の立像がある。 (写真上部 右・中) 像の周囲に四国八十八箇所札所の石柱が立ち、四国遍路をした際の砂が埋納されている。ここにも、お寺によくある力石が残っている。旅人たちが、力自慢を競い合ったのだろう。昔はお寺は、参拝の場でもあり、人々が集まる社交場でもあった。曲芸に使う道具の供養のまり塚があり、毎年、法要と演芸会が行われている。主催は寺では無く、太神楽曲芸協会で、今でも、地域と寺を繋げて、集いの場となっている。
[薬師堂/信徒会館/庭園] 薬師堂 (左上) は1963年 (昭和38年) に創建され、その後、インド風の堂宇に建て替えられている。その裏手には鶴の池の庭 (下) があり、青色の降魔成道釈迦如来像と金色の釈迦如来坐像がある。鶴の池に隣接する形でまつられている。鶴の池には沢山の鯉が泳いでいる。地元の人たちが、処分に困った鯉をここにはなしていると、ここで会った地元のおばさんが話していた。時々ここに参拝に来て鯉の成長を見るのが楽しみと言っていた。信徒会館 (右上) 一階はロビー、地下には300名収容のホール、二階、三階は信徒接待等の会議室や結婚式場がある。
万年屋跡
川崎稲荷社
田中本陣跡
一行寺
川崎宿交流館
宗三寺
問屋場/中の本陣
小土呂橋
大徳寺
佐藤本陣跡
教安寺
川崎宿京入口
芭蕉句碑
八丁畷無縁塚
市場一里塚
鶴見川水難者慰霊供養塔
寺尾稲荷道
鶴見神社
設楽茶屋
名主佐久間家
鶴居堂
道念稲荷
生麦事件発生現場
生麦事件碑
東子安一里塚
(3) Kanagawa Shuku 神奈川宿
長延寺跡 (土居)
良泉寺
能満寺
神明宮
熊野神社
金蔵院
神奈川宿高札場跡
権現山城跡
- オランダ領事館は長延寺跡
- 外国宣教師宿舎は成仏寺
- フランス領事館は慶運寺
- ヘボン博士施療所は宗興寺
- イギリス領事館は浄瀧寺
- フランス公使館は甚行寺
- アメリカ領事館は本覚寺 (青木城跡)
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