Okinawa 沖縄の旅 Day 73 (13/10/19) Naha Charter Minced 那覇大綱引

Naha Charter Minced 那覇大綱引
今日は那覇の代表的な祭りである那覇大綱引の日。せっかくなので、自転車での史跡巡りではなく、この大綱引きを見に行くことにする。大勢の人出が予想されるので土肥さんと徒歩で行く事にした。
那覇大綱引は、琉球王国時代から続いている祭り。1450年頃から始まったと言われているので500年以上の歴史がある。この綱引行事は沖縄の各地にある。農村では、雨乞い・五穀豊穣・御願綱の祈願の為に対しての祭りで、町方の方はて商売繁昌を祈願する。那覇は、琉球王朝時代、西村、東村、若狭町村、泉崎村の那覇四町があり、この四町により大綱引が始まった。みーんな (女綱)、をぅーんな (男綱) をかぬち棒で結合し、西東で引く綱は、陰と陽の結合を意味し、人類繁栄を願う神話的行事。長く続いた伝統行事も、戦争が近づいてくる1935年 (昭和10年) を最後に途絶えていたが、戦後、沖縄の祖国復帰の前年1971年の「10・10那覇空襲」の日に復活し現在に至っている。今年で復活後49回を迎える。

祭りの午前中は旗頭行列が国際通りで実施された。那覇市の12の町が東と西にそれぞれ6町づつに分かれて、まずは東から、その後、西が、旗頭行列で通りを練り歩く。琉球王朝時代は薩摩藩在番奉行所の前の通りで行われていた。(8/18に訪問)。
各町の旗を掲げての行列
鐘や太鼓を鳴らし、沖縄空手や棒術も行列の中で披露されていた。仮面を被った神様も登場していた。ミルク神か? 祭りには良く登場しているようだ。ミルクとは弥勒菩薩が琉球で形やその性格を変えて、信奉されている神。
旗頭はかなりの重量になる。交代で棒を支えて上下に揺らしながら進む。見ていて、かなり腰に負担があるのだろうと思った。
午後からはメインイベントの大綱引き。会場に近くなると、何台ものクレーン車が停まっている。大綱を運んできたのだ。想像していた以上に太くそして長い綱。一台では運べないので、何台出ている。運ぶのも大変だろう。
西と東の大綱は既に、かぬち棒で結ばれ、綱の両脇には綱が見えないぐらいの人だかり。この綱引きの面白いのは観光客がその場で参加できる。我々も綱引きに参加した。
綱引きが開始される前に、綱の上を組踊りの衣装をまとった鬼大城 (ウニウフグスク) が東から、阿麻和利 (アマワリ) が西から登場し、中央で一騎打ちを演じる。沖縄では誰でも知っている場面だ。写真は我が陣営の鬼大城。
阿麻和利の乱の事については、9/12に勝連城を訪れた際に書いている。鬼大城は越来城の城主で阿麻和利は勝連城の城主だった。
いよいよ綱引きが始まった。綱引きの最中は写真など撮る余裕は無い。童心に帰り、力一杯綱を引く。なかなか綱は移動せず一進一退だ。暫くこの状態が続く。我慢比べだ。突如、綱が軽くなり一気にこちらの陣営に引き込んだ。勢いがつき、そのまま綱が引っ張られ、我が陣営の大勝利。皆んな興奮して歓喜の声!皆んなでハイタッチ。隣を引いていた外人とハイタッチ。楽しかった。
綱引きが終わると、鋸で綱を切っている人を何人か見た。綱を持って帰るのだ。縁起物。家内安全、商売繁盛、厄除だそうだ。
久しぶりに観光客になって1日が過ごせた。こんな過ごし方も結構楽しいものだ。

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