Okinawa 沖縄の旅 Day 71 (11/10/19) Gushikawa Gusuku Castle Ruins 具志川城跡 (糸満市 ①)

Kyan Hamlet 喜屋武集落

  • Kyan Furu Gusuku Castle Ruins 喜屋武古グスク
  • Gushikawa Gusuku Castle Ruins 具志川城
  • Cape Kyan 喜屋武岬
  • Katahara Gusuku Castle Ruins カタハラグスク

Tukazato Hamlet 束里集落

  • Touma Gusuku Castle Ruins 當間グスク

  • Tukahena Gusuku Castle Ruins 束辺名グスク

Hanagusuku Hamlet 山城集落

  • Peace Forest Park 平和創造之森公園

一昨日は洗濯や掃除、買い出しで一日潰れ、昨日は土肥さんと沖縄市 (旧コザ) まで、Startup Pogramに参加で自転車はお休み。そして、今日から糸満市の散策を開始。沖縄本島の南の端から始める。那覇からだと海岸線を走ると20キロの距離。1番のお目当は具志川城で国指定史跡になっている。

Itoman City 糸満市

糸満はうみんちゅ (海人) の街。漁港を中心に市街地が広がっている。港を横切る国道橋を渡ると糸満市が一望できる。糸満市には確認されているだけで38のグスク跡がある。それと沖縄戦の最終局面の部隊で多くの戦争遺構が残っている。このグスク跡と戦争遺構を中心にして数日間かけて巡ることにする。
糸満市の市街地を抜けて更に南に行き、字喜屋武に入る。喜屋武も読むには難解な地名。「きゃん」と読む。元々は「きやむ」なのだろうか、よく見ると成る程とは思うが、初めて目にした時は想像はできないだろう。時々テレビでこの喜屋武の姓の芸能人やキャスターをみた事がある。沖縄出身の人だったのか。

Kyan Hamlet 喜屋武集落

2015年の国勢調査によると人口999人、世帯数は383世帯。

Kyan Furu Gusuku Castle Ruins 喜屋武古グスク (キャンフルグスク)

この喜屋武古グスクは、喜屋武漁港背後の崖の上にあったとされているが、漁港整備工事と道路工事等で大半が破壊されている。崖下の古墓以外はグスクとしての遺構は見当たらない。築城時期や築城者も不明。
崖の上の城跡に行こうと試みるが写真の如く、入口は藪で覆われてこれ以上中に入れない状態。
喜屋武漁港は崖を降りたデッドエンドにある。小さな漁港で隣には砂浜の海岸が広がっている。
更に南へ。目当ての具志川城。

Gushikawa Gusuku Castle Ruins 具志川城

このグスクは国の史跡に指定されている。喜屋武の海岸に突き出た断崖にあり、三方を海に囲まれている。
二つの郭があり、断崖の付け根に城門があり、一段下がって二の丸、さらに一段下がって本丸となっている。
二の丸には「スーフチミー(潮吹き穴)」と呼ばれる自然穴があり海に通じている。城跡でこれを見た時はただの井戸跡と思っていたが、その後に崖下に降りた時に大きな洞窟を見つけた。中に入って行くと明かりが差し込んでいる。地上まで吹き抜けている。潮吹き穴のの意味がわかった。今でも潮を吹き上げているのかどうかは知らないが、成る程であった。
昨日、インターネットでこの城を調べようとすると、久米島にも具志川城があった。沖縄には同じ地名の所がよくあるので、特に気にしてはいなかったが、現地での案内版を見て、この二つの具志川城が関連している事が分かった。伝説によれば、この城は久米島の具志川城主 真金声 (まかねくい) 按司が伊敷索 (いしきなわ) 按司の二男 真仁古樽 (まにくたる) 按司に攻められて落城し、島を脱出して本島に逃れ、ここに故郷と同じ名の具志川城を築いたといわれている。周辺には、佐慶城、上里城、山城城、東辺名城 (この後に訪問)、当間城 (この後に訪問)、喜屋武古城 (先程行った城) が築かれ、具志川城を含めて広大なグスクを形成していたと考えられている。
断崖にある城となると、どうしても下に降りて見たくなる。石灰岩の鋭く削られた岩肌に注意しながら、崖を降り海岸まで降りて見た。幻想的な所だった。ここには何人か観光客を見かけたが、崖下までは誰も行かない。もったいない。崖の上にあった。“崖は危険”という看板が効いているのか?

Cape Kyan 喜屋武岬

具志川城から見えた喜屋武岬に向かう。太平洋と東シナ海との分岐点だそうだ。海岸線が美しい。
ここには喜屋武埼灯台がある。

Monument of Peace 平和の塔

沖縄戦も終わりに近ずいてくると、米軍の侵攻はどんどん南に移ってきた。それに伴い、住民も南の糸満の海岸まで追いやられ、もうこれ以上逃げる場所がない断崖絶壁のこの地まで逃げて来ている。ここから見える海上には米艦隊が迫り砲撃を続けている。人々は絶望の中、最後にはこの崖から飛び降りる事しか出来なかったと言う、とても悲しい歴史を秘めた場所だ。黙祷。
(インターネットから) ここから飛び降りたのだと思うと何とも言葉がない。

Katahara Gusuku Castle Ruins カタハラグスク

この喜屋武岬にグスクがあったそうだ。喜屋武岬崖下にある大岩の事をグスクと呼んでいる。 伝承では、具志川グスクの倉庫だったと言われている。

Tukazato Hamlet 束里集落

2015年の国勢調査によると人口81人、世帯数は33世帯で糸満市の中では最も小さな集落。

Touma Gusuku Castle Ruins 當間グスク (トウマグスク、当間グスク)

グスクは、糸満市字喜屋武小字大石原に位置し、當間坂 (トウマヒラ) の石灰岩丘陵に築かれている。グスクは三方が崖状で、南側の傾斜地に城門を開けて、高い城壁を築き 防御力を高めた構造になっています。築城者は束辺名按司によって築かれたと言われているが確かな事は不明。上里グスクの支城ではないかと推測されている。
城跡は樹々に覆われてジャングル状態。それでもなんとか中に入り、岩場をよじ登ったが、途中でギブアップ。足元が見えないほどでこれ以上は危険と思った。

Tukahena Gusuku Castle Ruins 束辺名グスク (ツカヘナグスク、ミーガーグスク)

ここも石灰岩丘陵に築かれたグスク。伝承では、 束辺名按司の居城と伝わっている。グスクへは雑草や雑木で覆われ入る事は断念。
城跡の道路沿いの側面には数ヶ所洞窟があった。沖縄戦での避難壕だったのだろうか?
今日の最後の場所は沖縄戦の慰霊碑がある公園。

Hanagusuku Hamlet 山城集落

2015年の国勢調査によると人口101人、世帯数は37世帯の非常に小さな集落。

Peace Forest Park 平和創造之森公園

沖縄県平和創造の森公園は、第44回全国植樹祭の開催意義である「平和で緑豊かな環境を創り、次の世代へ引き継ぐこと」を目的に、平成10年4月に開園。沖縄戦で失われた緑をとりもどし、緑に親しみ、緑に憩い、緑に学び、平和への思いを新たにする場である。確かに、この公園は平和であって良かったと感じさせる造りをしている。広大な敷地の芝生は綺麗に刈り揃えられており、十分な空間を感じれる。
公園内にマヤーアブ(マヤーガマ)という洞穴がある。見学には事前登録が必要だそうで、柵で囲われ中には入れなかった。案内板によると、山城集落の住民の避難壕であったが、後に、陸軍の将兵が移動してきて、住民を管理下に置き、この壕から住民を追い出したり、食糧を強奪したり、更には住民を虐殺したという証言が残っている。この様な日本兵の残忍な行為は、この旅であった人からよく聞く。日本兵はアメリカ兵よりも酷い行為が多くあったそうだ。公にされていない事は山ほどあるらしい。日本政府と沖縄県との政治の駆け引きで水面下に潜んでいるそうだ。
公園の入り口付近には沖縄戦の犠牲者の慰霊碑が建っている。
広島、島根、北海道、香川、和歌山、そして、沖縄戦に動員された学徒達始め戦後放置された3万5千余体の遺骨を納めた魂魄 (こんぱく) の塔
奈良、大分、開南、東京、島根、沖縄菩提樹苑
慰霊碑を見ると気持ちが重く沈むのだが、この公園は、その先にある平和の有難さを感じさせてくれた。この公園で犬を連れて散歩していた婦人と世間話をして、この婦人が「ここは良い所でしょ。気持ちが落ち着くのですよ。」と話していたの印象に残った。何気ない言葉だけれど、平和とはそんなものなのだろうと思えた。

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