Ride in Setouchi & San-in Day 117 (10/7/19) Rest due to Sprain / Isa Castle Ruins 捻挫 休養 4 石原城跡

Isa Castle Ruins 石原城跡
足の調子は良さそうなので、近くの城跡に行ってみる事にした。行って見たい城跡は4つある。いずれも、明智光秀が攻め落とした城だ。八上城 - 篠山城の近くにあり 波多野氏の本城だがここからは50キロほどで峠越えでまだ無理そうなので断念。黒井城 - 篠山までのちょうど中間地点で遺構の残っており続100名城に選ばれている。ここぐらいなら何とか行けるかもしれない。今日別の城を見て、その後に行ってみよう。鬼ヶ城 - 福知山の近く10キロ程の地点にある。ただ山を400m以上登らなければならない。まだ少し不安がある。4つ目は石原城でこれも福知山から10キロ程の所にある。平城で山登りしなくても良いので、まずは難易度が一番低いこの石原城に行ってみる事に決めた。それで調子が良ければ、次は黒井城、そして鬼ヶ城に行って見たい。

Isa Castle Ruins 石原城跡

京都へ向かう鉄道線路沿いを走行してこの城に向かう。福智山は面白い地形にある。京都、大阪、豊岡、舞鶴、神戸からの街道の交わり所にあり、それぞれの街道から200-400mの峠を越えて、ぐっと降り、標高30mまで下った所にある。この標高30mに福智山があるとは地元の人も意識しておらず、もっと標高の高い山間部にあると思っている人が多い。日本海側にある舞鶴にはほぼ平坦な道のりで行ける程だ。
石原に到着。いさと読む。変わった読み方だ。城跡は小高い丘にあり、お寺になっている。お寺を取り囲むように土塁跡が綺麗に残っている。小さな城だ。これぐらいの規模の城が本城の領内にはいくつもあった。これは当時は通信手段がなく、連絡が何らかの形でできる距離に砦規模の城を作り、狼煙や旗などで連絡していたため。それで日本には何万もの城跡がある訳だ。
この城はこの地の豪族の大槻氏の古城として始まった。
土塁、空堀跡がはっきりと残っている。
向かいの山にも城跡があるヌクモ山城という。京都からの街道を見下ろす位置にあり、京都からの敵に備えていたのだろう。
北のほうには鬼ヶ城があった山が臨める (写真左に高い山)
今日はこれぐらいにして宿に戻る事にする。平坦な道を走っている分には痛みもない。坂道はギアを軽くしてなるべく足に負担がかからないように走る。
川沿いを走り福智山市内に向かう。土手から福智山城が見える。高いビルもなく何キロも離れた所からも良く見える。江戸時代は田植えをしながらこの城を見ていたのだろう。この地のシンボル的存在だった事がよくわかる。
帰りに図書館で読書。足が少し痛む。まだ早かった.... 走行しているときはそれほど痛みは無かったが、知らぬ間に足に負担がかかっていたのか。これでは明日はおとなしくしているしかない。

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