Ride in Setouchi & San-in Day 39 (23/4/19) Hagi Museum 萩博物館
Hagi Museum 萩博物館
The Hagi Martyrs and their Monuments キリシタン殉教者記念碑
Kuchiba Residence 口羽家住宅
Old Gate to Tenement House of the Ninomiya Family 旧二宮家長屋門
Old Soshiki Family Row House 旧祖式家長屋
The Study of the Nashiba House 旧梨羽家書院
Old Tenement House of the Kodama Family 旧児玉家長屋
Heian Bridge 平安橋 / Hiyako Main Gate 平安古の総門
Old Residence of Tsuboi Kuemon 坪井九右衛門旧宅
Old Villa of Tanaka Giichi 田中義一別邸
Old Residence of Watanabe Kozo 渡辺蒿蔵旧宅
Birthplace of Yamagata Aritomo 山県有朋誕生地
今日は雨模様。このような時は屋内の博物館に充てるようにしている。雨が止む正午頃までは萩博物館に行き、晴れてから街並みを見る事にする。
Hagi Museum 萩博物館
萩は「萩まちじゅう博物館」と銘打ち、街全体が博物館としてその中心に置かれているのがここ。萩開府400年のプロジェクトとして平成16年に開館したのでまだ新しい。萩城三の丸の堀内伝統的建造物群保存地区内にあり、建物の外観や敷地は武家屋敷風に造られている。
博物館の前にある中の総門跡は三の丸の入り口で、総門は三ヶ所あった。昨日は北の総門を訪れた。この中の総門は三の丸への玄関口に相当する。
博物館の敷地の外壁は当時の隅櫓を復元して造られている。
博物館を囲んでいる外壁は多聞櫓模様になっており、そこには昭和レトロの展示となっていた。懐かしくはあるが、子供の頃当たり前だったものが、今は博物館の展示物になるのか.... 時の流れを認識した。
博物館の本館。毛利家、長州藩の歴史をさらりと紹介している。幕末維新期は明倫館でかなり詳しく紹介しているので、この博物館は長州藩の歴史の入門編と言った感じだ。ここで気がついたのだが、萩では長州藩の表現は極力使わないようにしているようだ。ほとんどの資料が萩藩となっている。山口市では萩藩ではなく長州藩を使っていたので、萩市の気持ちもわかるのだが、こだわりがあるのだろう。
それなりに歴史の紹介はしていたが少し物足りない気もした。歴史だけではなく萩の一般の地理、自然、生物、生活など一般の博物館なので、歴史もさらっとしていた。ボランティアガイドさんは丁寧に質問に答えてくれた。博物館には一般に公開している資料室があり自由に見ることができる。ここで面白いものを見つけた。松蔭読本。アマゾンでは中古品が3500円で売っている。萩でも買えるのに、法外な値段が付いている。萩の子供達は全員必読のもの。萩の教育のバックボーンになっている。これは良いやり方と思う。松蔭の生き方や教えを子供達に浸透させる。子供を諭す時に使えるだろうし、親も自分の行動を子供がこの本に照らし合わせ見ていると思うと自然に緊張するだろう。勿論、全てが正しいか、時勢にあっているかは、それぞれの個人が判断すれば良いが、何かを基準にする事は必要だ。
あと、面白かったのは長州ファイブと呼ばれた長州から欧州へ派遣された若者たちを紹介するビデオ。物語風で伊藤博文や井上馨の若い時が垣間見られる。詳しく見たいのであれば、松田龍平主演でドラマ化したDVDもある。
思ったほど時間がかからずに見終わった。外に出るとまだ雨が降っているが、小降りなので、自転車で廻ってみることにした。
The Hagi Martyrs and their Monuments キリシタン殉教者記念碑
ここには二つの殉教の記念碑がある。一つは毛利輝元の重臣の熊谷元直の殉教とそれから300年近く経った時、明治政府により弾圧が続けられ長崎浦上で見つかった隠れキリシタン3800名のうち300名がこの萩に流刑になり棄教を迫られ拷問に耐えかね亡くなった40名の殉教者が出た。九州では長崎、天草、島原とキリシタン弾圧について見てみたが、その度に政府の国の前には個人を犠牲にすることが正当化されること、それに対して屈せず殉教した多くのキリシタンに多くを考えさせられた。
昨日に続き、三の丸にあった武家屋敷を訪れる。昨日三の丸への総門の2つを見たが、今日は残りひとつの総門である平安総門に至る所にある武家屋敷をみる。
Kuchiba Residence 口羽家住宅
Old Gate to Tenement House of the Ninomiya Family 旧二宮家長屋門
Old Soshiki Family Row House 旧祖式家長屋
The Study of the Nashiba House 旧梨羽家書院
Old Tenement House of the Kodama Family 旧児玉家長屋
Heian Bridge 平安橋 / Hiyako Main Gate 平安古の総門
三の丸の端に当たる場所で平安古 (ひやこ) の総門 があった。三の丸に入るには平安橋 (へいあんばし)を渡って総門をくぐる。同じ平安なのだが読み方が異なる変わった名前だ。誰かにその訳を聞きたかったのだが、聞いた人はあまり疑問に思っておらず結局謎のまま。
平安橋を渡ると平安古地区に入る。ここも伝統建築保存地区になっている。古い街並みが残っている。
先程は児玉家長屋を見たが、ここに児玉家屋敷跡があり、かいまがり交流館になっている。あいにく今日は休館日で見学はできなかった。「かいまがり」は初めて聞く言葉。鍵曲と書く。 城下に進入した敵を迷わせ、追い詰めるため、左右を高い土塀で囲み、 道を鍵手型に曲げることで迷路のようにした道を言う。確かにそうなっている。
Old Residence of Tsuboi Kuemon 坪井九右衛門旧宅
Old Villa of Tanaka Giichi 田中義一別邸
第26代内閣総理大臣をつとめた田中義一の別邸。田中義一がここを購入する前の明治期には、夏みかん栽培を奨励した小幡高政がここに居住していた。現在残っている建物は田中義一が建てたものだが、総理大臣としては比較的小さな別邸だった。政界に身を投じてからは心の休まる時がなかった。時々、故郷の萩で、普通のひと時を過ごしたかったのだと思う。昨日は田中義一が生まれたところに行き、彼の生い立ちを聴くと、尚更、この別邸で、世間からしばし離れたかったのではと感じた。隣には、夏みかんなどの柑橘類約10種類約400本の木が植えられている「かんきつ公園」がある。別の所でも触れたかもしれないが、幕末に山口に藩庁が移り、萩が空洞化した時に萩を再生させたのがみかんだった。空き家となった武家屋敷をみかんばたけに変え、萩の特産物にまで押し上げた。それを行なったのが、小幡高政だった。
平安古地区を抜け、萩の旧市街の東側に行く。萩には昔ながらの土塀がいたるところに残っており、それも色々な作りになっている。この塀の形や様式は身分とか財力とか、その時代を表しているのか? これも聞いてみたい。
Old Residence of Watanabe Kozo 渡辺蒿蔵旧宅
藩命により米英に留学し造船技術を修得し、帰国後は、工部省に入り、官営長崎造船局(現三菱重工長崎造船所)の初代局長に就任。日本の造船事業の近代化に貢献。
Birthplace of Yamagata Aritomo 山県有朋誕生地
天保9年(1838)、萩藩中間・山県有稔の次男として川島に生まれる。幼名は小輔、狂介などを名乗り、維新後有朋と改名。吉田松陰の松下村塾に学び、高杉晋作率いる奇兵隊に入隊。長州藩の中心人物の一人として活躍し、維新後は明治政府の軍備面に精力を注ぎ、大村益次郎の唱えた軍制を具体化、参謀本部の創設など日本陸軍の建設に当たり、明治22年(1889) 総理大臣となる。大正11年 (1922) 85歳でこの世を去るまで、長州出身の長老として長きに渡り明治政府の中心的な存在であった。
今日は結局、一日中雨が降っていた。服も少し濡れている。宿に帰ってゆっくりとしたい。
2コメント
2019.07.29 00:14
2019.07.28 23:07