Ride in Kyushu Day 13 (28/12/18) Imari 伊万里
Imari 伊万里
昨日訪れた名古屋城はとてつもなく大きく、各大名の陣まで含めるととんでもなく広範囲になる。史跡指定をされている陣は見ようと昨日何ヶ所は見たのだが全てはまわれなかった。今日もう一度行こうかと思っていたのだが、朝、起きると雪が降っている。あられの様な雪で、気温が低いせいか、ベタつきはせずしばらく消えずに残っている。名護屋城は北方向にあり少し高い所にあるので雪が心配だ。涙を呑んで名護屋城陣所まわりは諦め、佐世保に向かうことにする。南の方に行けば雪も無くなるだろうと思った次第だ。
結局、終日、雪は降ったりやんだり、途中で車が道路に塩をまいていたのに出くわした。凍結注意の表示も出ている。夜になる前に佐世保まで行かねばと少し焦る。佐世保へは2ルートあり、短い距離の方は峠越え、長い方は、急な坂は無いのだが、5km程長い。安全な長距離の国道202号線で行く事にする。
今日行きたい所は陶磁器で有名な伊万里、有田、そして出来れば三河内。雪次第では行けないかもしれない。
今日のコースの中間点にあたる伊万里に近づくと、道の駅があった。手前の橋を渡ろうとすると、欄干には伊万里焼の磁器で飾られている。さすが陶磁器の街だ。道の駅は「伊万里ふるさと村」という。道の駅で無料でぜんざいを振る舞っており、食べて行きなさいと、手渡してくれた。寒いので熱く甘いぜんざいは有難い。
雪が心配なので、あまり長居出来ないので、ぜんざいを食べるとすぐに、伊万里市街に向けて走る。道の駅で仕入れた観光地図に沿って行く。駅周辺には、至る所に、伊万里焼の陶磁器のモニュメントがあり、陶磁器の街の雰囲気が高まっている。結構、高級そうな磁器だが盗難やいたずらにあっていないのか気になる。
かつて陶磁器を国内や海外に船で輸送するための、にを積み込む場所跡が川岸にあり、すぐ近くに展示場があった。陶器商家資料館と海のシルクロード館の古い建物が隣接している。まずは向かって左の陶器商家資料館に早速入って見学。おばさんが出てきて説明をしてくれた。陶器商家は注文を受けた陶磁器をここで全て揃うまで保管し、写真にあるわらで梱包をしにを積み込む仕事をしていた。この界隈には多くの商家があった。商家の二階は旅館になっており、荷を受け取りに来た人たちが泊まった。鍋島藩はここに旅籠や遊郭を作ることを許可しなかった。陶磁器は鍋島藩の生命線でその秘密が漏れるのを、非常に恐れ、厳しく取り締まったそうだ。
この伊万里の中心地から5kmの大山内という所に藩窯があり、腕の良い陶磁器職人をそこに住まわせ仕事をさせた。ここでは幕府への献上用の高級品のみが作られた。年間500ぐらいしか作らなかった。ここには今は30軒ほどの窯元があり、現在も製造をしている。ここで作られるものは「鍋島」と呼ばれている。つまり幕府向けの超高級品。大山内に選ばれなかった職人が伊万里で大衆向けに作っていたものは「古伊万里」と呼ばれる。行きたかったのだが、おばさんとの話が長くなり、往復10kmで山間部はちょっと時間の余裕が無い。いつか訪れてみたい。ネットから写真を拝借。
隣の海のシルクロード館も行ってみた。30半ばの男性が店番をしている。一回は陶磁器の販売所で2階が展示室になっている。自転車旅行なので、陶磁器は買えないのだけれどと言って、見学させてもらった。気持ちよく質問に答えてくれて、ここでも長話となった。店での人気商品はと聞いてみた。ここに来る人は殆どが観光客なのでそんなに値がはるものは売れないのだが。磁器より陶器の方が人気がある。彩色を施した磁器は料理よりも自己主張が強く料理に合わせにくい。陶器は温かみがあり、比較的合わせ易いそうだ。全盛期に比べて生産量は7分の1まで落ち込んでいる。実用性を求める人はニトリなどで買って、楽しみたい人が伊万里焼を買うのだが、時代とともに嗜好が変わってきていて状況は良くないと言っていた。生産量が少なくなった事により、値段が上がり、悪循環もある。一時期人気があった金襴手(きんらんで: 金で輪廓をとり、色々な色で彩色を施しているもの。下の写真の中央)はどんどん生産量が少なくなり今はあまり作られていないと言っていた。今の主流は現代的なデザインの物で骨董店でお目にかかる古伊万里はあまり製造していない。ちょっと残念。
磁器と陶磁の話もした。磁器が始まったのはこの地方の有田からだそうだ。昨日訪れた名護屋城でも解説があったのだが、秀吉の朝鮮出兵時
佐賀藩の藩祖鍋島直茂が豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)時に朝鮮から多くの陶工を拉致や亡命で佐賀に連れてきた。その中の李参平が陶石を発見し、磁器焼造を始めたとされている。これ以前は陶器が中心で唐津焼が有名。福岡の鴻臚館で説明を受けたのだが、この陶器技術も白村江の戦いで敗れた際に百済の陶器職人が多く亡命をしてきて九州北部で陶器製造の指導をした。日本の陶磁器文化は朝鮮から九州に伝わったという事だ。
話し込んでしまいもう3時半になってしまった。佐世保まではまだ後25kmほどあり、走るだけでも到着は6時ごろになる。有田に行けるかどうか。また雪が降っている。
遅くなっても良いとし、途中で佐世保ルートをはずれ、有田に向かったのだが、思っていた以上に遠い。途中で手袋を落としてしまい探したが見つからない。今日は真冬の温度で手袋なしでは手が凍りつくようだ。柿右衛門の窯元を見たかったのだが、手袋購入に手こずり、途中棄権となり、佐世保に行く事にした。
結局佐世保に着いたのは7時前。真っ暗になっている。クリスマスイルミネーションがまだ残っている。暗い中子供達が遊んでいる。もう冬休みなのだ。自分は毎日が休みなので何曜日で何日なのかもよくわかっていない。気ままな自由旅。ほとんどホームレス状態だが......
今日の宿のインターネットカフェに行く途中でマクドナルドの表にドルの換算レートが出ている。ここではドルで買い物ができる店があるのだ。ここはアメリカの文化(?)の影響が強い所だった事を思い出した。
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