Ride in Kyushu Day 10 (25/12/18) 元寇防塁 Genko Borui

Genko Borui; Genko borui is the fort constructed with stone along the coast area of Hakata Bay in Kitakyushu in the Kamakura period.
今日は唐津まで走る予定だったが、朝起きると少しだるく感じるので、ゆっくりと唐津までの中間点ぐらいまで行くことにした。午前中はマクドナルドで休憩し、昼少し前から出発。福岡市は今日で最後になるだろうから、この間食べた天麩羅を昼食にしようと思い、ひらお本店に行ってみた。昼休みを避けようと1時過ぎに入ったが、人がいっぱい並んでいる。よく見ると、スーツケースを引きずっている人が多くいる。この本店は飛行場に道路挟んだところにあり、飛行機にの乗る前か、到着後に来ているのだと思う。前回同じく天麩羅定食をたのんだ。前回ほどの感動は無く。食べた後は少し持たれるような感じだった。やはり少し体調が良くないのかもしれない。
福岡に来てからずうと気になったいたのだが、飛行機が市内を低空で飛んで騒音がすごい。飛行場が市内に非常に近いところにある。交通は便利なのだが、うるさ過ぎる。地元の人は特に気にしているようではなさそう。
食事が終わり、のんびりと田圃の中の道を走る。車も走っておらず、リラックスして走れる。

元寇防塁 Genko Borui

元寇防塁(げんこうぼうるい)は、鎌倉時代、文永11年(1274年)に元による侵攻(文永の役)があり、幕府は本格的な異国警護に着手され、博多湾沿岸一帯20kmに及んで築かれ、建治2年(1276年)に完成。この後、弘安4年(1281年)の弘安の役までには一部が完成しており、元軍は博多への上陸を断念して、志賀島に船団を停泊させた。弘安の役の後も元による再襲来に備えて異国警護体制は持続し、工事や修理は鎌倉幕府滅亡の前年にあたる元弘2年(1332年)まで行われている。江戸時代の福岡城築城の際に、石垣の石として防塁の大半が失われたが、現存する防塁は、奇跡的に残ったもの。九州は他の地域に比べ、色々な形で外国とのつながりが、いつの時代にもあった。

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