小豆島 - 東京 (復路) 01 (05/11/23) 坂手港-神戸港-膳所

小豆島 - 東京 坂手港-神戸港-膳所

  • 坂手港-神戸港
  • 夙川 前田公園万葉植物苑
  • 武庫川 髭の渡しコスモス園
  • 西国街道 (山崎通)
  • 芥川宿、水門、愛宕燈籠、子宝地蔵尊
  • 芥川一里塚、三宝大荒神
  • 梶原一里塚、船本松太郎顕彰碑
  • 桂川
  • 髭茶屋追分
  • 義仲寺


当初は自転車を小豆島に置き四国巡りの拠点としようと思っていたのだが、再考して小豆島は拠点としては不便なので、この考えは断念して、別の方法を考えることにした。小豆島の史跡や郷土史の情報は今回の滞在で、かなり入手出来、一旦東京経由で沖縄に帰ってから次回の小豆島訪問の計画を立てる。東京へは神戸まで船で渡り、その後は陸路で自転車を走らせて向かう。沖縄へは14日の東京からのフライトを撮っているので、東京へは寄り道をせずひたすら走ることになる。道沿いに出会う興味を惹く所だけを見ながらとなるだろう。

坂手港-神戸港

小豆島から本州への航路は今月から大部-日生 (ひなせ 岡山県) がなくなり、福田-姫路と坂手-神戸の二つとなった。残ったニ航路も便数は以前に比べ半数となり、厳しい経営のようだ。坂手-神戸は夜行便があり、神戸に着いてから丸一日有効に使えるという事で、夜11時頃出向のジャンボフェリーにて神戸に向かう。連休中とあって乗船客は通常よりかなり多く、雑魚寝ができるスペースは満席状態だった。神戸港には早朝の5時半に着いた。まだ夜明け前だ。まだ暗い中、今日の目的地の滋賀県大津市の膳所に向けて出発。

夙川 前田公園万葉植物苑

1時間半ほど走り、感じの良い公園があったので、休憩を取る。紅葉が始まっていた。

武庫川 髭の渡しコスモス園

前田公園から半時間も行くと武庫川にあたる。昔はここには武庫川を越える髭の渡しがあった場所。渡し場を運営していた主人が髭を蓄えていたのでこのように呼ばれたそうだ。ここには満開のコスモス園があり、多くの人が訪れていた。

西国街道 (山崎通)

コスモス園から1時間半程走ると、兵庫県から大阪府の茨木市下井町で西国街道に入る。
西国街道は、古代から西国と京都を結ぶ街道で、江戸時代には本街道である大坂廻りよりも近いので大名の参勤交代路として利用されていた。東海道の大津宿から京都に入ることを避け、直接に伏見宿に至り、山崎 (京都府乙訓郡)、芥川 (高槻市)、 郡山 (茨木市)、瀬川 (箕面市)、昆陽 (伊丹市)を経て西宮に至る全行程約50kmの街道になる。街道沿いには昔ながらの建物や道しるべ、地蔵尊などがあり、いにしえの趣が残っている。
先程の地蔵もそうなのだが、西国街道のこの辺り (高槻、茨木) の地蔵の顔は白く塗られている。これは化粧地蔵とよばれる風習で古来、西国街道や丹波街道などの主街道が集まる京都で発祥したと考えられ、街道沿線に広まった。今でも地蔵に化粧をしてお祀りするそうだ。この地域ではかつて多くの幼い子どもたちが、災害や戦で犠牲になった事から子どもの守り仏である地蔵に丁寧に化粧し、子どもたちの幸せを祈る人々の、強い思いのあらわれとも考えられている。

芥川宿、水門、愛宕燈籠、子宝地蔵尊

高槻市に入ると西国街道の宿場だった芥川宿がある。芥川宿の西の入り口に水門跡が残っている。すぐ西を流れる芥川は、天井川で川底が高く、大雨などで氾濫しやすかったた め、増水時には石柱の縦溝に止水板をはめて宿場への浸水を防いだそうだ。水門を宿場に入った所に1822年 (文政5年) に建てられた火伏せに霊験があるとされる京都愛宕神社を信仰する愛宕講の愛宕燈籠と子宝地蔵尊が置かれている。この地蔵尊も化粧が施されている。

芥川一里塚、三宝大荒神

芥川宿の東口には芥川一里塚が修復されている。江戸時代、ここ芥川には参勤交代の大名が泊まる本陣や伝馬が置かれ、旅籠が軒をつらねる宿場町だった。塚の正面には1926年 (大正15年) に移設された災いや穢れを退ける神仏習合の守護神の三宝荒神 (仏・法・僧) を祀る祠が置かれ、その隣の祠中には化粧地蔵尊も置かれている。

梶原一里塚、船本松太郎顕彰碑

西国街道を進むともう一つ一里塚があった。約4km進んだことになる。一里塚の場所には地蔵堂が建てられており、堂内にはかつて淀川沿いの中村に置かれ、度重なる水害から守
り継がれてきた「水あがりの地蔵さん」とも呼ばれ親しまれている地蔵尊が置かれているそうだ。また、道を挟んだ向かいには江戸時代末期から明治時代に上牧村を拠点に「都松」の名で相撲集団を作り、草相撲や神社での奉納相撲を行った船本松太郎の顕彰し、鬼門封じを兼ねて船本邸の北東隅に碑が建立されている。

高槻市から大阪府の島本町に入った道にカラフルなマンホール蓋に遭遇。二つは島本町のご当地マンホール蓋でもう一つは先行きは不安な大阪万博のもの。

桂川

道を長岡京市、向日市を通り、1時間半程走ると桂川にあたる。ここを超えると京都府伏見区になる。
桂川を渡ると細い川があり遊歩道となっていた。川の名前は分からないが気持ちの良い場所だった。

髭茶屋追分

桂川から1時間半程走ると、大津市に入り、逢坂の関の峠越えの上り坂が始まる。江戸時代に東海道 (三条街道) と伏見街道 (大津街道) の分岐点の追分になる。
逢坂の関まで登りきるとこの後は目的地の膳所まではもう少しで、下り坂になる。膳所に入ると寄ってみたいと思っていた義仲寺に着いた。4時半になっていた。閉門時間だった。寺のおばさんが明日は休館日だが、明後日は来れるかと聞いてきたが生憎先を急ぐというと、ではせっかくだからお参りして行って下さいと中に入れてくれた。ここには木曽義仲が埋葬された墓と妻だった巴御前の供養塔、芭蕉の供養塔が置かれている。

この後、宿に入る。今日は早朝からの走行でかなり疲れた。シャワーを浴び夕食を済ませて、眠りについた。

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