東京 - 小豆島 (往路) 06 (26/10/23) 一の宮 - 彦根
中山道 一の宮 - 彦根
- 大江川、花祇橋
- 真清田神社
- 旧尾西市
- 木曽川、濃尾大橋
- 長良川、羽鳥大橋
- パナソニックソーラーアーク
- 揖斐川、大垣大橋
- 住吉神社
- 大谷川
- 関ヶ原
- 不破の関
- 醒井宿
- 入江橋、琵琶湖
走行ログ
一の宮からは東海道を離れ、中山道への合流で道を進むことにする。中山道も以前走っている。
大江川、花祇橋 (はなぎばし)
宿出発して大江川に架かる小さいが風情のある花祇橋 (はなぎばし) を渡る。大江川沿いは緑道になっており、桜の名所だそうだ。
真清田神社
一宮市はかつては一の宮と呼ばれていた。この名からこの地方の一之宮があったと思い、道沿いに大きな真清田神社があった。後で調べるとこの神社が尾張の一之宮だった。時間があれば、じっくりと見たいのだが、それは別の機会とする。今回は沖縄に帰る11月14日にフライトを取っているので、これから行く小豆島での滞在期間の関係で、東海道、中山道で道草をする余裕がなく残念だ。自転車で走っていると見たい所がいっぱい出てくる。いつか時間を決めずに自転車か徒歩で何ヶ月か旅行がしたくなる。
走っていて遭遇した一宮市のご当地マンホールを三つ見つけた。中央に市章、周りに市の花の桔梗が描かれているもの、市のゆるキャラのいちまるくんの仕切り弁、一宮七夕祭りの七夕飾りを描いた角形仕切弁。
旧尾西市
2004年 (平成16年) に住民投票で一宮市に合併となっている。町にはまだ尾西という名称のものがあり、県道18号線沿いで見つけたマンホールにも「びさい」と書かれていた。
木曽川、濃尾大橋
県道18号線を進むと木曽川に出る。1956年 (昭和31年) に開通した全長777mの濃尾大橋を渡ると羽鳥市となる。
長良川、羽鳥大橋
道を進むとまた長い橋になる。羽鳥大橋を渡る。写真には川が写っていない。橋の歩道は狭く、高い所を通っており、高所恐怖症なので、橋の途中で止まって写真を写す余裕が無く、川岸から撮ったのだが川は見えなかった。
パナソニックソーラーアーク
橋を渡ると奇抜な形をした建物が見えて来た。パナソニックソーラーアークでサンヨーが会社設立50周年記念事業として2001年に建設し、サンヨーがパナソニックに買収後この名になったが、パナソニックはこの地での事業が終了し、この土地を売却。近々取り壊されるそうだ。
揖斐川、大垣大橋
またまた大きな橋にきた。揖斐川に架かる大垣大橋だ。今回は川もちゃんと写っている。
この橋を渡ると大垣市に入る。
水門川、住吉神社
大垣市内中心部まで進み、ちょっと趣きにある場所があったので、住吉神社の前で昼食とした。この辺りは、丸の内、馬場町、寺町の地名が残っており、丁度この北側にある大垣城の城下町にあたる。何故か桜が咲いていた。
大谷川
大垣市内から大垣市の北側西の端近くまで進む。道沿いにご当地マンホールがあった。大垣ではカラフルなものは見つからないかと思っていたが、やっと出会えた。道を進み、大谷川を渡る。
垂井町
大谷川を渡ってすぐに垂井町に入る。竹中半兵衛の居城の菩提山城や居館がある。竹中半兵衛は垂井町の村おこしの資源になっている。
関ヶ原
だらだら坂を進むと関ヶ原町に入る。東軍徳川家康と西軍石田三成の関ヶ原合戦が行われた場所になる。ここにも以前訪れて、ほぼ全ての陣跡を巡っているので今回は素通り。道沿いには各軍勢の旗頭が置かれていた。
不破の関
関ヶ原古戦場を過ぎると奈良時代に関所地して置かれていた不破の関跡がある。
今度は下り坂になる。比較的なだらかな下り坂なので、ブレーキも緩めで良く快適走行。坂道を降り切ると畑が広がっている。
醒ケ井宿
国道1号線が東海道で旧東海道と交わったり、離れたりしていたが、中山道も同じだ。自動車道路としての中山道はこの地域では国道21号線で中山道にあった宿場には昔ながらの中山道が残っている。中山道61番の醒ケ井宿も国道21号線から分岐した旧中山道で向かう。ここは出来るだけ昔からの宿場町を保存、再現している。中山道脇には水路が通り散策には抜群の場所だ。
醒ケ井宿を過ぎると旧中山道は国道21号線になる。暫く走るが、これでは面白くないので、畑の中の農道を走る事にした。自動車も走ってなく、この地域一帯を貸し切った感じだ。
入江橋、琵琶湖
農道を進むと川が琵琶湖に流れ込む所に架かる入江橋に着く。今日の泊まりの彦根までもう少し。琵琶湖畔沿いを走る。そろそろ日暮れが近くなってきている。
彦根城が見えている。宿はもうすぐだ。
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