Okinawa 沖縄 #2 Day 183 (19/05/22) 旧真和志村 (15) Tsuboya Hamlet 壺屋集落
旧真和志村 壺屋集落 (つぼや)
- 壺屋うふシーサー
- 壺屋陶芸センター
- 番所井 (バンジュガー)
- 壺屋焼物博物館
- 北ヌ宮 (ニシヌメー)
- やちむん通り
- 下ヌ井 (シムヌカー)
- 南窯 (フェーヌカマ)
- 壺屋区役所跡
- 大井 (ウフガー)
- 新川ヌ井 (ミーガーヌカー)
- まじる商店横井戸
- 東ヌ井 (アガリヌカー)
- 壺屋通り東口
- ひめゆり通り
- 旧新垣家住宅、東ヌ窯 (アガリヌカマ)
- スージー小 (グヮー)
- 唐屋 (トーヤー)
- 賓頭盧小 (ビンジュルグヮー)
- 壺屋町民会館
- 壺屋前原ヌサーター屋井戸 (ツボヤメーバルヌサーターヤガー)
- 天ぷら坂
- 与儀西原ヌ畑井戸 (ヨギニシバルヌハルガー)
沖縄は梅雨の真っ最中で連日雨で、昨日は1週間ぶりの晴れ間が出て、宜野湾真志喜集落を訪れた。今日は、その訪問記の編集を予定していたが、天気予報を見ると明日からまた1週間連続の雨となっていた。今日は夕方までは曇り予報なので、連日になるが集落巡りとした。午前中は沖縄県立図書館で調べ物をして、その後、午後の数時間を集落巡りにあてた。先日、雨の中、訪問した与儀集落が焼き物と関係があり、その陶工たちが形成した壺屋集落と密接なつながりがあるとなっていたので、今日はその壺屋集落を訪れることにした。
旧真和志村 壺屋集落 (つぼや)
壺屋は戦後、立ち入り禁止となっていた那覇市の中で、いち早く解放された地域で沖縄の復興拠点ともなっていた。1945年11月に陶器などの復興を目的として、初めて陶工136人がこの壺屋に入り、壺屋を拠点に戦後の那覇市のまちづくりが始まった。1946年1月には糸満地区の壺屋区隣、ここに区役所が置かれ、人口も982人に増加していた。しかし、陶工関係以外の移転は米軍からは許可されなかった。1946年後半になり、壺屋町、牧志町周辺への一般の人の帰還が許され、一挙に人口が500人に達している。しかし、その後、他の地域も帰還が許可されたことや、壺屋地域は面積が小さいことから、次第に人口は減少している。人口グラフで1999年に人口が2倍ほどになっているが、これは那覇市本庁管轄地区として壺屋町、字与儀、字樋川の各一部が新たに壺屋2丁目と行政地区変更が行われたことによる。もともとの壺屋地区はその後も人口の減少は継続している。世帯当たりに人数を見ると、2013年に2人を切り、2020年末では1.7人にまで減少している。これは、那覇中心地には徒歩圏内で、独身者、核家族の割合が非常に高いことを表している。
集落内民家の分布を見ると、戦後の1948年には、既に元の集落があった地域が拡大している。1975年を見ると、地域の東半分、現在の壺屋2丁目地域に民家がぎっしりと密集sており、この時点で既に飽和状態になっている。
- 御嶽: 賓頭盧御嶽 (ビンズルウタキ、ビンジュルグワー)
- 殿、神屋: 唐屋 (トーヤー)、北ヌ宮 (ニシヌメー)
- 井泉: 東ヌ井 (アガリヌカー)、新川ヌ井 (ミーガーヌカー)、大井 (ウフガー)、下ヌ井 (シチャヌカー)、番所井 (バンジュガー)
壺屋集落訪問ログ
壺屋うふシーサー
壺屋陶芸センター
番所井 (バンジュガー)
壺屋焼物博物館
北ヌ宮 (ニシヌメー)
先程は荒焼については書いたので、次は上焼 (じょうやち) について。釉薬をかけた装飾的な焼物のことで、赤土の上に白土で装飾するのが特徴で、上焼の窯では、主として日常雑器としての主に食器や花瓶などの小物類を焼き、荒焼窯では水ガメや、食糧貯蔵用のカメ類などの大物を焼いていた。この上焼が沖縄役物の代表の一つの壺屋焼となる。明治以降になると、日露戦争の頃は荒焼の酒甕の需要が急に増え、その最盛期には、その窯数実に40ヶ所に及ぶ勢いだった。その後、いったん壺屋焼は安価な焼物の大量生産に押されて生産が下火となったが、大正時代に入ると民芸運動の高まりとともに注目されるようになった。
やちむん通り
下ヌ井 (シムヌカー)
南窯 (フェーヌカマ)
壺屋区役所跡
大井 (ウフガー)
新川ヌ井 (ミーガーヌカー)
まじる商店横井戸
東ヌ井 (アガリヌカー)
壺屋通り東口
ひめゆり通り
旧新垣家住宅、東ヌ窯 (アガリヌカマ)
スージー小 (グヮー)
唐屋 (トーヤー)
賓頭盧小 (ビンジュルグヮー)
壺屋町民会館
壺屋前原ヌサーター屋井戸 (ツボヤメーバルヌサーターヤガー)
天ぷら坂
与儀西原ヌ畑井戸 (ヨギニシバルヌハルガー)
行き帰りには、昔聞いていた1970年代のJethro Tull の "The Zealot Gene" とJoe Satriani の "The Elephants of Mars" が今年新しいアルバムをリリースしたので、久しぶりに聞いてみた。2つともそれぞれの個性を維持している。マンネリ化かもしれないが、往年の雰囲気が出ているのは、うれしいところだ。
参考資料
- 真和志市誌 (1956 真和志市役所)
- 那覇市史 資料篇 第2巻中の7 那覇の民俗 (1979 那覇市企画部市史編集室)
那覇市壺屋集落における空間構造の特性 (2010 松井幸一)
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