Okinawa 沖縄 #2 Day 158 (30/12/21) 旧知念村 (6) Yoshitomi Hamlet 吉富集落
[2022年1月3日 再訪問 具志堅のミーチバカ、吉富井泉 (ヨシトミガー)]
旧知念村 吉富集落 (よしとみ、フッチリ)
- 吉富公民館
- 慰霊之塔
- 給水タンク
- 寒川 (ソージ) グスク
- 具志堅のミーチバカ (2022年1月3日 訪問)
- 仲里墓 (ナカザトゥバカ)
- 吉富農村公園
- 寒水殿 (ソージトゥン、佐宇次殿)
- 寒水井泉 (ソージガー、佐宇次井泉)
- 吉富井泉 (ヨシトミガー) (2022年1月3日 訪問)
- ニライカナイ橋
- ビジュル洞 (ガマ) (航空自衛隊知念分屯基地内) (未訪問)
- 宮里春行道翁之像 (与儀公園)
旧知念村 吉富集落 (よしとみ、フッチリ)
久手堅から1937年 (昭和12年) に分離して字富貴利となり、1947年 (昭和22年) に吉富と改称された。
集落の位置は昔から変わっておらず。平地は海岸沿いにある一部分で全面が畑となっている。丘陵の上部も平地ではあるが、そこは自衛隊知念分屯地となり、現在の集落がある急斜面のみが民家が広がる余地があるのだが、他の地域に比べ居住性はかなり劣り、これ以上の民家の拡大は難しい。
吉富集落が久手堅集落かあ分離独立した当時は200人を超え、ピーク時の1965年にはは242人まで人口は増えていたが、その後減少が続き、一時期持ち直すかに見られたが、現在は再度減少が続き、ピーク時の半分となっている。
吉富は屋取集落なので琉球国由来記には記載された拝所はないが、久手堅集落の一部だった時代には神社 (佐宇次権現、現在のビジュル洞) が琉球国由来記にでている。また、琉球国由来記の佐宇次根所は寒水殿とも考えられている。だたし、久手堅集落内にも佐宇次根所とされる場所があり、どちらがその場所かは不明。
吉富集落訪問ログ
吉富公民館
慰霊之塔
給水タンク
寒川 (ソージ) グスク
具志堅のミーチバカ (2022年1月3日 訪問)
寒川 (ソージ) グスクから国道331号線の反対側に、亀甲墓が三つ連なった立派な墓がある。ミーチバカといわれている。半田門中の墓。吉富集落には半田門中という門中は見当たらない。具志堅のミーチバカとなっているので、具志堅集落の門中墓と思われる。
仲里墓 (ナカザトゥバカ)
吉富農村公園
寒水殿 (ソージトゥン、佐宇次殿)
寒水井泉 (ソージガー、佐宇次井泉)
吉富井泉 (ヨシトミガー) (2022年1月3日 訪問)
カナイ橋より皿の上の丘陵に吉富井泉 (ヨシトミガー) という井戸跡がある。コンクリート製の水槽が置かれて、水が流れている音が聞こえる。この井戸は道の側にあり、この道沿いには、何軒かの民家が建ってる。現在の吉富集落からかなり外れているのだが、この井戸と民家があることを考えると、ここにも小さな集落があったように思える。
ニライカナイ橋
ビジュル洞 (ガマ) (航空自衛隊知念分屯基地内) (未訪問)
宮里春行道翁之像 (与儀公園)
参考文献
- 南城市史 総合版 (通史) (2010 南城市教育委員会)
- 南城市の沖縄戦 資料編 (2020 南城市教育委員会)
- 南城市の御嶽 (2018 南城市教育委員会)
- ぐすく沖縄本島及び周辺離島 グスク分布調査報告 (1983 沖縄県立埋蔵文化財センター)
- 南城市のグスク (2017 南城市教育委員会)
- 南城市見聞記 (2021 仲宗根幸男)
- 知念村の御嶽と殿と御願行事 (2006 南城市知念文化協会)
- 知念村文化財ガイドブック (1994 知念村史編集委員会)
- 知念村史 第一巻 (1983 知念村史編集委員会)
- 知念村史 第二巻 知念の文献資料 (1989 知念村史編集委員会)
- 知念村史 第三巻 知念の文献資料 (1994 知念村史編集委員会)
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2021.12.31 13:58
2021.12.31 13:30