Kii Peninsula 紀伊半島 18 (25/12/19) To Okinawa 日本一周を終えて沖縄に移動

To Okinawa 沖縄に移動
昨日は大学時代の友人二人と夕食を一緒にした。友人からクリスマスイブに急に会いたいと言われて予定が空いているのは珍しい。この指摘を受けるまで、クリスマスイブである事を忘れていた。もう二年近くも旅を続けていると、曜日とか祭日など特に気にせず、世の中の流れに疎くなる。この年になるとクリスマスイブも意味合いが薄れてくるのだろう。友人の一人は大阪に単身赴任。銀行なので30日までは家族のある関東には帰れない。もう一人は子供も社会人となり奥さんと二人暮らし。特にクリスマスイブは特別な日では無くなっているのだろう。ただ、食事の後に単身赴任の友人の行きつけの梅田のバーに行ったが、客は我々だった。やはり世間はクリスマスは家族で過ごすのだろう。
昨夜はこの友人のマンションに泊めてもらい。朝余裕を持って伊丹空港に自転車で向かい、空港で自転車をばらし梱包。この作業も何回もやっているので慣れたものだ。チェックインして沖縄那覇に出発。
沖縄にはこの57日間にわたった東海道と紀伊半島の旅の前に約二ヶ月半滞在し、沖縄本島の南部の史跡をまわり、沖縄にはまってしまった。非常に興味深い所だ。個人的な考えでは沖縄は日本ではなくまだ琉球国と思っている。政治的に日本に属していると言っても良いにでは無いだろうか。沖縄戦で全土が焼け野原になったが、琉球としての精神、文化、習慣が残っている。現在の日本とは異質のものなので興味を惹かれる。ただ異質と言っているものに中に、昔の日本と非常に似通った物があるように思える。この沖縄を知る事は日本の本質を見つける事に繋がるような気がしてならない。そう思うともっと沖縄を深掘りしたくなり、沖縄に暫く滞在して勉強してみようと思い。再度沖縄に行く事にした。年明けにはアパートを探し、沖縄にある大学の沖縄に関する公開講義の聴講を申し込みを進める。最低一年は滞在するだろう。自転車での放浪旅は今回で一旦終了し、沖縄では勉学に集中する事にする。
今回の東海道・紀伊半島の旅は57日となり総移動距離は2128kmとなった。東海道2往復に相当する。ぶらぶらしなければこの3分の1の距離で済むのだが、走るだけでは面白くない。色々な所に寄り道をするのが楽しい。東海道でかなりの時間を使ったのと沖縄へのフライトを予約していたので後半の紀伊半島はいつも通りにぶらぶらの寄り道は限られてしまった。多分紀伊半島はもう一回、今度は時間をかけて旅をするのだろう。

これで日本の全ての県をまわり、日本一周の旅は一旦終了とする。正確には開始してから一年と10ヶ月かかったのだがあっという間だった。もっとゆっくり、もっとぶらぶらと寄り道をしても良かったかなとも思っている。まだまだいっぱい行きたいところが残っている。いつか訪問する事になるだろう。
日本一周を終えて、色々と自分に変化が起こっている事が分かる。感じた事はその時の旅日記に書くようにしているのだが、総括すると:
  • 住まいはと聞かれると日本と答える。住民票はあるがこの旅の開始時に住居は処分。世間ではホームレスと呼ばれている状況になった。寝泊りは日本全土になった。これが苦痛では無く、むしろ贅沢と感じる。知らない内に、日本全土が自分の家の様に思えて来るのだ。昼間は景色の良いところで休憩をし、食事をとっていると土地とか家を所有する事があまり意味がない様にも思える。どこにいても安らげれば住居を固定する事は不要だろう。
  • 物に対する価値観が変わる。自転車で旅をしているので、持てるものは限られている。会社で働いていた時は色々と欲しいものが出てきたのだが、自転車に詰めないとなると、持てない。そのうちに欲しいと言う衝動はなくなる。それで不便と思った事は無い。気持ちの充実は物を持つ事で無い事が認識できる。移動も自転車が良い。車を欲しいとは思わない。厄介なだけだ。近場なら2倍時間をかければ済む事だ。距離があるなら数日前に出れば良い。今は道路があるところならば山であろうと自転車で行けないとは思わない。道が無ければ歩けば良い。変な考えと思うかもしれないが、交通機関がない時代はそうだったのだ。坂本龍馬が京都と江戸を何度も行き来している。新幹線で2.5時間で行くより2週間かけていく方が色々な事を考えながら目的に向かえたのだろう。情報についても同じだ。テレビが無いので余計な情報は入って来ない。知りたいことだけとりに行けば良い。現代は知っていてもあまり意味が無い情報が多すぎて、知らなければいけないという脅迫に悩まされている。何を知りたいのか知るべきかは自分で決め無ければならない。
  • 人の本質は善と思える。多くの宗教は悪とするが、そうでは無いと思う。旅でどれほど人に親切にされた数えきれない。全く見ず知らずの人間と出会い、利害関係も無く、親切にしたいという優しい気持ちは本来の自然な思いでは無いだろうか。利害関係で打算が働くのは外部要因があるからだ。世の中の物質や情報、人間関係で人の気持ちは影響される。それ自体が悪いこととでは無いが、大切なのはその外部要因に対してどう向き合うかだと思う。
  • 親切にしてくれた人は自分と比較して決して生活が楽では無い人がほとんどだ。しかし、感じるのはその人達が、その生活を受け入れていて、決して不幸な生活をしている様には見えない。幸せを物質的な物に求めるときりが無い。都会で贅沢を幸せと感じる事は本当は不幸な事なのだろうと思える。田舎にはそんな都会の生活など全く知らない幸せそうな人がいる。
  • 旅をしていると時に人生に絶望し、生きることに疲れた人に出会う事がある。この人に何が出来る訳では無いのだが、この様な時に人間とは何なのかを考える。旅ではほとんどの時間を屋外で過ごすのだが、その時に色々な動物を見て過ごす。結構楽しそうに行ったり来たりしている。多分、動物は自分の生き方など考えていないだろう。与えられた生命の時間を生きている。色々な危険もあるがその中で生をまっとうしている。幸せ感を持っているかは分からないが不幸とは思っていないだろう。人間も同じ動物だが、人間には意志が与えられている人生を自分で決める事が出来る。その特権が余分に与えられている。なのに動物が抱かない不幸を感じる。その様な必要はない筈だ。人生うまくいかない事もあるだろうが、それを不幸の原因と考えてしまう。本当は動物より恵まれた存在なのにと思う。他人と比較するからだ。それは悪い事では無い。競争や他人からの刺激は人の生き方を考える上で役に立っている。問題はうまくいかなかった時に悲壮感を持つ事だ。本来、人間に生まれてきた事自体が素晴らしい事と思えば、人生で悩む事はある意味贅沢な事と思えて来る。
これ以外にもいっぱい感じた事はある。日本の素晴らしさを認識したとか、行政の問題はどうあるべきかとかあるのだが、それはここの訪問地で出来るだけ書き残す様にしている。書き残すのは、また俗世間に戻った時にそれに振り回される事があったその時に読み返す事により、その時に感じ考えた事が思い出す事が出来るだろうとの思いからだ。
この旅をする為に失った物はあるが、それ以上に得た物は多い様に思える。ほぼ放浪の様な旅だったが、自分の中では、これほど贅沢な旅は無いだろうと思える。

  1. 四国お遍路の旅: 2800km 53日間
  2. 中山道の旅: 1585km 29日間
  3. 北海道の旅: 3160km 49日間
  4. 九州の旅: 3264km  74日間
  5. 東北/北陸の旅: 3848km 70日間
  6. 瀬戸内/山陰の旅: 5372km 126日間
  7. 沖縄本島南部の旅: 1665km 78日間
  8. 東海道/紀伊半島の旅: 2128km  57日間
1年10ヶ月の期間で、8回に分けて旅をした。旅の間でC型肝炎の定期検査や役所関係で途中休憩があるが、実際に自転車でまわっていた正味期間は536日間で1年8ヶ月となり、移動距離は23,822kmであった。単純な日本一周で大体自転車で日本一周した人は12,000kmなので日本を2周した勘定。


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