Ride in Setouchi & San-in Day 111 (4/7/19) Sasayama Castle Ruins 篠山城跡

Sanda Castle Ruins 三田城跡
Sasayama Castle Ruins 篠山城跡
今日は福知山に向かう。福知山は京都府にある。兵庫県を北に突っ切る形になる。もう少し北に行くと日本海側はすぐだ。ここに来る目的は兵庫県朝来市にある竹田城に登る事。
福知山への道の途中にいくつも城跡があるが、あまり遠回りにならない城跡に行く。福知山までは80キロを超えるので、時間に余裕はあまりない。二つぐらいしか見れないだろう。

Sanda Castle Ruins 三田城跡

三田市の事は知っていたが、三田城については全く知識がなかった。たまたま福知山へのルート上にあるので寄ってみた。来て初めて知ったのだが、ここの綾部藩 (三田藩) 藩主は紀伊国九鬼浦の海賊で有名であった九鬼氏だ。織田信長に仕え、毛利水軍を打ち破った事で名が知れている。三田の地は、摂津国、播磨国、丹波国を結ぶ交通の要衝で、有馬郡の中心として古くから栄えていた。有馬温泉があり、これを求め激しい争いが行われた。三田城の前身の車瀬城には赤松氏の一族の有馬氏が治めていたが、荒木村重の配下であった事より、村重の居城の有岡城が織田勢に攻められ落城した際に、この三田城も落城となった。その後、城主が度々変わるが、関ヶ原後30年程で九鬼氏となる。地元では有馬氏より九鬼氏の方に親しみがある様だ。城跡には九鬼氏の藩主に説明板があるが、有馬氏についての物は見当たらなかった。江戸時代初期に九鬼氏がここに移封して来てから明治維新まで約260年続いたというのであるから納得はできる。
この一帯が三田城があったとされる場所。
城跡と思われる場所は小学校になっている。前方には空堀が残っている。
九鬼家住宅跡 昔ながらのの作りに洋風のバルコニーがある。
三田を後にし今日の訪問予定地の篠山城に向かう。道は国道を通っていくが、人家が減ってきて、田園風景が多くなってきた。
小川のほとりで昼食。静寂の中に小鳥のさえずり。
田圃道を走る。
篠山と言えば猪。篠山市内も近くなってきた。

Sasayama Castle Ruins 篠山城跡

篠山市内に到着。篠山城は平城でその周りが城下町として発展していた。今でも武家屋敷街や商家のまちなみhが保存されている。市はこの城下町の雰囲気を観光のポイントにしているのだろう。市役所や商店も昔風の造りにしている。

武家屋敷街
商家町
市役所、ホテル、料亭など
いよいよ篠山城に入る。
22 外堀  堀幅がかなり広い。ちょっと立派な川の様。

[東馬出し 24/25] ー  外堀の外側に3つの馬出があった。その内2つが残っている。
[南馬出し 27/28]
[三の丸 20] ー 外堀を渡ると三の丸になる。二の丸、本丸は内堀で仕切られている。三の丸と外堀の境目には高い土塁が残っている。鉄壁の守りの構え。三の丸跡には小学校が建っていた。昔ながらの校舎が今も使われている。これもいつかは史跡になるのだろう。
[内堀 18、犬走り 17] 内堀と石垣の間には綺麗に整備された犬走りが残る。他の城に比較してここの犬走りはかなり広い。元々犬走りとは犬しか通れない狭い通路をこう呼び、城郭では石垣の崩落を抑える為にある。この城は西の毛利氏の抑えとして戦闘を想定した作りになっている筈だが、これ程に広い犬走りは敵に石垣の攻略の足掛かりになり守りには不利だ。これはいつか聞いて見たい。
[廊下門 (5)、中門 (7)、黒鉄門 (8)、隅櫓 (21) ]
三の丸から二の丸へは、当時は建物で覆われていた北廊下を通って、廊下門 (右上 5)をくぐり、右に曲がり、更に中門 (右中 7)をくぐり、左に折れて黒鉄門 (左下 8)を通って、ようやく入る事ができる。ここの二つの枡形は隅櫓 (左中 21)と多聞櫓 (二の丸の石垣には多聞櫓が建っていた) で硬く防備されていた。
[二の丸 (11)] ー この二の丸がこの城の中心的存在でここで政務が行われていた。現在はかつて建っていた大書院を復元している。
[埋門 (12)] ー 二ノ丸と三の丸のもう一つの通路。
[大書院 (10)]
来年の大河ドラマは明智光秀を主人公にした「麒麟がくる」だ。この丹波地方は明智光秀の丹波攻めの舞台。本能寺の変の前の事で、どんどんクライマックスに近づいてくる場面。かなり盛り上げようとしている。城は今工事中の所があったが、恐らくこの大河ドラマブームで大勢の観光客が押し寄せてくる事を想定しての事だろう。(この数日後に行った福知山城も工事中)。大河ドラマブームは2年と続かないのだが、それでも何とかきっかけを作りたいのだろう。観光整備だけでなくもっと有効にブームを利用する方法があると思うが、どこの行政も観光主体の一辺倒の事しかやっていない。多くの人が訪れるのは市をPRする絶好の機会だ。メディアも取り上げる。篠山が住むには魅力的な所だと思える様な準備を優先すべきだ。観光地整備は観光地としか思われない。誰も住もうとは思わない。残念だ。せっかくの大河ドラマブームがもったいない。
篠山の進行減少は他の地域よりも顕著だ。人口で比較すると萩しと同じぐらい。篠山にも良い観光資源があるのだが、萩市の取り組みと比較すると見劣りがする様な気がする。
[本丸 (15)]
[天守台 (16)]
大書院は資料館になっており、パネル展示がある。その一部を掲載する。
篠山を後にし、35キロ程走り、やっとこさ、福知山に到着。格安のカプセルホテルに宿泊。ここを拠点にして竹田城や豊岡などに行ってみたい。


2コメント

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  • Kazu Saeki

    2019.07.08 13:42

    これを変えるには行政を築き上げる市民パワーが必要だろうね。行政は何かやっておけばいいだろうと仕事の一部としてやっている。成果が上がるかどうかは二の次。その結果を評価する市民の意識が高いところが狙い目。
  • sumito dohi

    2019.07.08 02:42

    地元の観光資源は地元の人であればあるほどその良さをアピールするのが下手(観光庁では“気づかない”と表現してます)といいますが、この大河ドラマタイアップ系の再観光地化計画はおきまりのテンプレートがあって、どの地方行政もそのテンプレート通りにしかことを進められない(手抜きなのですかね、、所謂)ようです。まぁ縦割りの仕組みなので、目新しいことをしようとすると落とされてしまうようですけど。。。。そんなんで再観光地化なんてできませんよ。地方が廃れていくシステムと思考回路は中央が作り出しているものかもしれませんが、それと同じくらい、地方自身が“それ”以上のことをしたがらないというのも大きな理由ですね。6次産業が今後重要なカギだなんて言っておきながら、横串的に産業化していく→結果地方に人が集まり活性化する仕組みは作れないでいるというなんとも矛盾したお金と時間の使い方をどの地方でも(テンプレート通りなので)やってます。今度お話しますが、経産省、総務省系のNPOやそれに準じた企業と観光庁系のそれ(両方に所属しているのも結構ある)とが、それぞれに助成金をもらうことだけを考えた地方活性を(謳っているだけなんですけど)旗印に食い散らかしているからなんですよ!最低なお話です。ここ福知山でも同様ですよ。残念ですが。